日本人女性研究者が「南極」で目撃した「アデリーペンギン」の「悲劇」と「不思議」
映画『皇帝ペンギンただいま』が本日(8月25日)公開となった。43歳の経験豊富なオスを主人公に、彼の子育てを描いた本作。南極の大自然や皇帝ペンギンたちの姿は、息を呑むほど美しく、また神秘的だ。
しかし、彼らを取り巻く環境は年々、厳しさを増しているという。リュック・ジャケ監督がフォーサイトのインタビューで語ったように、いま南極に変化が起きている。
そこで、国立極地研究所の塩見こずえ助教に、南極で見たペンギンたちの姿について聞いた。
「意外と小さい」が第一印象
「“意外と小さいな”というのが、初めて見た野生の皇帝ペンギンの第一印象でした」
そう話す塩見さんは、京都大学卒業後、同大大学院や東大大学院などを経て、3年前から国立極地研究所に所属。バイオロギング(野生動物に小型の記録計を取り付けて行動や生態を調査する手法)分野の第一線で活躍する佐藤克文・東京大学教授に師事し、主にペンギンやオオミズナギドリといった海鳥の研究をしてきた。
「初めて南極に行ったのは修士課程2年目だった2008年、コウテイペンギンの調査をするアメリカの研究グループに同行させてもらったのです。南極の夏にあたる10月上旬から12月上旬にかけて2カ月滞在しました。事前に名古屋港水族館で彼らにデータロガー(小型の記録計)を取り付けるテストをしたのですが、周りに別の種類のペンギンがいたせいか、もの凄く大きく見えた。ところが実際に南極で見ると、“あれ?”と。周りが一面氷原で、大きさを比べるものがなかったので、小さく見えたんじゃないかと思います」
米国の「マクマード基地」からスノーモービルで30分。見渡す限りの氷原にポツンと置かれた小屋で、皇帝ペンギンを観察した。
「アメリカのグループは潜水生理を専門としていて、コウテイペンギンが長く深く潜ることを可能にしている、生理的なメカニズムを解明するための調査をしていました。そ彼らの実験では、血中や筋肉中の酸素濃度を測る特殊な計測器をペンギンに取り付ける必要があったのですが、その計測器は何日間もつけっぱなしにはできるものではありません。それで、確実にデータが取れるよう小屋の目の前に半野生の観測場所をつくって実験をしていました。海氷上のある程度の広さのところを柵で囲い、その内側の氷に穴を空け、コウテイペンギンがその穴から海へ潜っては戻ってくるようにした。氷の上に出られる場所が他にないので、必ず柵の内側の穴へ戻ってくるというわけです」
「潜水」の謎を解いた「羽ばたき」の回数
あとは、皇帝ペンギンを捕まえるのみ。一行は、ヘリコプターでコロニーの近くまで出かけた。
「しばらく行くと下の方に黒い粒々が見えてきました。コウテイペンギンのコロニーです。繁殖に参加せず、コロニーと海の間をうろうろしているペンギンを見つけ、着陸。人間の気配に気が付いても、すぐにペンギンが逃げることはありませんでした。最初はコウテイペンギンたちから少し離れたところを、ぞろぞろと一緒に歩いた私たちは、徐々に距離を狭めていって捕まえました」
「ペンギンボックス」と呼ばれる特製の箱に入れ、5羽ずつ3往復。全部で15羽の皇帝ペンギンがやってきたという。
「その後は、ひたすらデータロガーを取り付けてはデータを集める、という作業を繰り返しました。アメリカのグループが潜水生理を調査していた一方、私が調べたのは水中の動き。ペンギンに取り付けたデータロガーで、水中での位置や速さ、泳ぐ方向などを記録したのです」
水中では巧みに動き回っているコウテイペンギンも、ひとたび水の外へ出るとまぬけな一面を見せることもあるようだ。
「みんな穴から上手に氷上に飛び上がってくるのですが、出てくる時にガンと氷にぶつかって跳ね返されてしまったペンギンがいて、しばらくプカプカと仰向けに浮かんでいました。そんな姿を見たら、野生で生きていけるのか心配になりました。何回か挑戦して成功していましたが(笑)」
こうした地道な調査で分かったのは、「潜水をしているコウテイペンギンは、潜っている深さに関係なく、約240回羽ばたくまでに水面へ引き返し始める」ということ。距離でも時間でもなく羽ばたきの回数こそが、「帰る」という決断のきっかけになっていた。羽ばたきの回数と酸素の消費量が関係しているからだという。
そのように引き返すタイミングに制約がある一方で、彼らは氷の穴から水平方向に1キロ以上も離れた場所まで水中を移動することもあったという。なぜ氷の下で長距離移動をしても、帰るべき方向が分かるのか。新しい発見があればあるほど謎が増える。それが研究の醍醐味の1つだ。
生き残ったのはたったの2羽だけ
再び塩見さんが南極大陸を訪れたのは、アデリーペンギンを調査するためだった。冬に繁殖する皇帝ペンギンと違い、彼らは夏に卵を生み、ヒナを巣立たせる。卵が冷たい雪や雨に浸からないよう、地表や岩の上に小石を積み上げ巣をつくるのが、アデリーペンギンの特徴だ。近くの巣からこっそり石を盗む、ずるがしこい面もある。
そんなアデリーペンギンの観察を、塩見さんは2016年12月から翌年2月までフランスの南極基地(デュモンデュルヴィル基地)で、2017年11月から今年1月まで日本の南極基地(昭和基地)で行った。
「アデリーペンギンの調査については、昭和基地へ行くことが先に決まっていました。その後、フランスの共同研究者からデュモンデュルヴィル基地で調査したい人はいないかと声がかかり、昭和基地だけで調査するより他の基地も見た方がアデリーペンギンへの理解が深まるのではないかということで、フランスチームとの調査にも行かせてもらうことになったのです」
さすがはフランス、デュモンデュルヴィル基地では、毎朝6時にバゲットが焼き上がり、バターとチーズも常備されていたそうだ。
「この基地のいいところは、敷地内にアデリーペンギンのコロニーがあること。基地がある南極大陸沿岸のペトレル島にはいくつもコロニーがあり、アデリーペンギンの調査には持って来いの場所です」
だが、悲劇が待っていた。
「私が到着したのは12月下旬のちょうどヒナが生まれる頃でしたが、その時点で繁殖状況がかなり悪かった。例年のこの時期には基地の目の前から海が開けているのに、この年は氷がびっしり100キロ先まで張っていました。アデリーペンギンもコウテイペンギンと同じように、メスが卵を産んだらすぐに海へ出かけて行きます。その間、オスが抱卵して待っていて、通常は2~3週間くらいでメスが帰り、抱卵を交代して海へ出かけたオスが2週間くらいで帰り、というのを繰り返す。ところがこの年は、最初の段階でメスが1カ月以上も帰ってこない巣がたくさんありました。氷がなくなるところまで歩いて行って海でエサを獲って帰らなければならないので、100キロも氷が張っていると、いつもより時間がかかる。生まれたばかりのヒナはエサをもらえずにずっと待っていなければならず、飢えてしまったり、巣で待っている親が卵やヒナを捨てて海へ行ってしまったりして、この年のヒナはほとんど生き残ることができませんでした。11月の時点では島全体で約1万8000ペアのアデリーペンギンが卵を抱えていたのに、2月まで生き残ったヒナはたったの2羽だけでした」
雪解け水で流された巣も……
氷がなくならなかったのは、なぜなのか。
「共同研究者が発表した論文によると、コロニーに面した海に大きな氷山が漂着したことで、いつもは海氷が沖へ動いて海が開けるのに、氷山がその動きをブロックし、氷が長い間留まってしまった可能性が高いそうです。それと、以前は風が陸から海に向かって氷を外に押し出すように吹いていたらしいのですが、近年は風向きが変わり、氷を動かす力が弱くなったのではないかという指摘もある。2016年は11月に雪がたくさん降り、その後、気温の高い日が続いたことも災いしたようです。山の斜面に沿ってつくられた巣が雪解け水で流されたり、巣に水が溜まって卵が死んでしまったり、というケースも多かったと聞いています」
塩見さんの目の前には、からっぽになってしまった繁殖地が広がっていた。そこにヒナがいないのなら、親が帰ってくる理由はない。みな海へ出てしまったのだ。
「例年なら、たくさんのヒナが1カ所に集まり、体温低下を防いだり捕食者から身を守ったりするために『クレイシ』という集団をつくるのですが、この時は2羽がポツンといるだけ。トウゾクカモメに狙われている姿をハラハラしながら見ていました」
幸い、その2羽は無事に育ったそうだが、
「不思議なことに気がついたのは、調査も終盤に差し掛かった頃でした。このコロニーの数キロ先、海氷で繋がった大陸側にもアデリーペンギンのコロニーがあったのですが、なぜかペトレル島ほど繁殖成績が悪くなかったのです。ほぼ同じ状況に置かれているように見えるのに、どうしてなのか。どこかに氷の割れ目を見つけてエサを獲っていたのか、別の要因があるのか。さっぱり分かりません」
「南極」と一口に言っても、その広さは約1400万平方キロメートル。オーストラリア大陸の2倍もある。年によって状況が変わるだけでなく、同じ年でも南極の何処かによって気温も風も氷の状況も千差万別だ。
実際、塩見さんがデュモンデュルヴィル基地を訪れていた間、南極大陸のほぼ反対側にある昭和基地では、全く違う光景が広がっていた。
25時間・50万歩の旅?
「昭和基地の近くのコロニーはというと、例年はデュモンデュルヴィル基地とは逆にあたり一面に氷が張っていて、アデリーペンギンは氷の割れ目からエサを獲ったりして、苦労していることが多いようです。ただ、2016~2017年にこのコロニーで行われた調査によると、この年はコロニーの周りの海から氷が全くなくなっていて、繁殖成績も良かったのだそうです。私が訪れた翌年は巣やヒナの数がさらに増え、コロニー内の約180巣から230羽が巣立ちました。この年も目の前で海が開けていたのです。例年は、海に潜れる氷の割れ目があるとみんなが集まり、そこから一斉に潜る。そうすると、彼らが水中で動ける範囲のエサが食べつくされてしまい、コロニー全体で育て上げられるヒナの数に上限があったんじゃないかと思います。その状況が一変して海が開けたので、色々な方向に遠くまでエサを獲りに行けるようになり、いつもより多くヒナを育てることができたのかもしれません」
様々な条件が繁殖成績を左右するとはいえ、海氷が主な要因の1つであることは間違いなさそうだ。アデリーペンギンの歩幅は15~20センチで時速は2~4キロ。2016-2017年のデュモンデュルヴィル基地のように海まで100キロも徒歩だけで移動するとしたら、彼らは25時間かけて50万歩も歩かなければならない。実際には「トボガン」と呼ばれる腹ばい移動もしているが、いずれにしても気が遠くなる旅だ。
「私の興味は、ペンギンがどのようにして餌場まで移動し、また元の場所へ戻れるのかというところにあります。ただ、どんな環境情報をどうやってナビゲーションに使っているのかは、私たち自身の場合でもよく分かりませんよね。なので、ペンギンの行動データから、どこまでそういった情報を取り出せるかというのが、難しくもあり、面白くもあるところです」
今年も別の研究者が、南極でペンギンの調査を行う予定だという。新しい発見を期待するとともに、悲劇が繰り返されないことを祈るばかりだ。
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