産経新聞「原爆」記事はスクープではない 有馬哲夫(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
近頃では、新聞は「旧聞」になっている。ネットやテレビで既報になっているニュースが翌日の新聞記事になっているものが見られる。とくに新聞のオンライン化が始まってからこの傾向が強まった。
とはいえ、2年以上前に有力月刊誌の記事になっているものを新聞が現在のニュースとして報じるのは問題だ。既報になっているのを知らないで記事にしてしまう「うっかり」はあるだろう。だが、既報と知りながら内容がほとんど重なる内容をニュースとして報じると「うっかり」ですまされないのではないか。
私が問題にしているのは、産経新聞が8月10日付で報じた「米原爆投下 7月1日に署名 チャーチル首相、深く関与」という記事のことである(ネット版記事は9日配信)。記事の概要は以下の通り。
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(1)米国による日本への原爆使用にはチャーチル英首相も最終同意して署名していたことが、英国立公文書館所蔵の秘密文書から判明した。
(2)もともと原爆の開発にはカナダ、イギリスが深く関与していて、使用にあたっては両国の同意が必要だった。英米加、3国間の取り決めを「ケベック協定」と呼ぶ。
(3)英政府で検討を重ねた結果、チャーチルは使用容認を決断し、1945年7月1日に日本に原爆を使用する作戦に署名し、英首相官邸はこの判断を2日付で公式覚書とした。
いずれも「アメリカが日本に早期降伏をさせるために原爆を開発して投下した」というシンプルなストーリーを信じている日本人には驚きの話なのかもしれない。紙面ではかなり大きい扱いなので、スクープだと感じた読者も多いことだろう。実際にネット版記事のほうには「知らなかった」と衝撃を語るコメントも多く寄せられていた。
しかし(1)~(3)とも、2018年8月に「判明した」と報じるような話なのかといえば疑問を感じざるをえない。
まず、これは私が2年以上前の2016年の「新潮45」7月号に掲載した論文「イギリスとカナダも原爆投下に同意していた」と内容がほとんど重なる。なぜなら、拙論で私が使ったのと同じイギリスの公文書を産経新聞は前述記事で使っているからだ。
私だけではない。チャーチル首相が1943年に英米加で締結したケベック協定に基づいてアメリカの原爆投下に同意を与えたことは、早くも2013年8月4日に共同通信社もアメリカ側の公文書に基づいて報じている。
ケベック協定第2条は、「われわれは、互いの同意を得ずして、この力(原爆、および原子力)を第三者に用いない」とあるので、アメリカはケベック協定国であるイギリスの同意を必要としたのだ。
さらに言えばこの協定自体は、数十年前から日本でも知られていて秘密でも何でもない。現在ではウィキペディアでもその内容を知ることができる。だから産経記事のようにわざわざ文書の写真を載せていかにも「発見」であるかのようにアピールする必要はない。
産経新聞の件の記事は二番煎じどころか三番煎じ以上になる。なぜこれが2018年8月9日の時点で「ニュース」になるのだろうか。
記事には、「(チャーチルが)容認しなければ広島、長崎の悲劇を防げた可能性が高く、投下に対するチャーチルの前のめり姿勢は議論を呼びそうだ」とある。
しかしその「前のめり姿勢」は私や共同通信によってとっくに明らかにされたものなので、このように新たに議論を呼ぶような印象を与える書き方は不正確ではないだろうか。
少し細かい話になるが、私は前掲の記事にチャーチルと閣僚たちが原爆投下の同意について交わした文書のうち1945年6月22日、23日、28日、30日、7月2日、4日付の文書を引用している。引用していないのは7月2日付メモだけだ。なぜなら、その紙面に書かれているのは「W.S.C. 1.7.45.」というタイプされた文字と判読不能の手書きの文字だけだからだ。
つまりこのメモだけでは、チャーチルが原爆の使用に同意したとは読めない。その前後の文書を読むことで、チャーチルが財務大臣の提案に同意したことがわかるのだ。重要な決定だけに、流れを追う必要がある。
ところがなぜか産経の記事では7月2日付メモの写真が紹介されているのみである。この写真を見た人は、いくら真剣に目をこらしてもなんのことかさっぱりわからなかったと思う。さらにいえば、6月30日と7月2日の文書を読めば、7月2日付メモがなくとも、この間にチャーチルが閣僚からの原爆使用許可の要請に対して同意を与えていたことは明白だ。
それ自体では意味不明の7月2日付メモにわざわざスポットライトをあてているのは、他の文書はすべて私が拙論ですでに引用してしまっているからなのだろうか、と勘繰りたくもなってしまう。
私はこれまでにこのテーマで英米に加えてカナダの公文書も当たり、何度も原爆に関する論考を「新潮45」に発表してきた。長年取り組んできたテーマだけに、既報があたかも「ニュース」になるような状況は見逃せないと考え、この問題を提起した次第だ。