甲子園「登板過多」問題を感動でごまかしていいのか
繰り返される登板過多
日頃は「歴史に学ぶ」のが大好きな朝日新聞だが、こと高校野球となると話は別らしい。秋田県代表、金足農業高校の躍進が注目を集めた今回の甲子園を総括した社説には、
「猛暑への対策をはじめ、体への負担が大きい投手を中心とする選手のけが防止の徹底など、大会運営を巡る課題は少なくない。時代に合わせて見直しながら、歩みを進めていきたい」
とある(22日付)。
金足農の吉田輝星投手をはじめとして、今大会でも見られたエースの酷使問題について、一定の良識を見せたかのような主張だが、実のところ「大会運営を巡る課題」は指摘されて久しい。投手の登板過多の問題にしても、同紙もすでに何度も記事にしている。
それでいざ大会が始まれば、酷使を「熱投」と言い換えて、感動のストーリーを前面に打ち出すのである。
『甲子園という病』の著者でスポーツジャーナリストの氏原英明氏は、10年ほど前からこの登板過多問題に向き合い、取材を続けている。実際に過剰な負担をかけられた投手や、それを指示した監督らにも丁寧に話を聞いており、同書には当事者たちの貴重な証言が数多く収められている。今後の「課題」を考えるうえで、2014年の盛岡大附属高校のエース、松本裕樹投手を巡るエピソードを紹介してみよう(引用はすべて『甲子園という病』より)。
剛腕投手の異変
2014年夏の2回戦、盛岡大学附属-東海大相模戦は大会屈指の好カードとして注目されていた。盛岡大附のエース、松本裕樹(現ソフトバンク)は最速150キロのストレート、カーブ、スライダー、カットボールを持つ本格派右腕で大会屈指の投手という評判だった。打者としても高校通算54本塁打などで、大谷翔平に続く二刀流の逸材としても騒がれていた。
ところが、いざ試合が始まると、松本のストレートは最速でも130キロ前後。変化球を駆使して勝利を収めたものの、異常は明らかだった。このとき、彼の右ひじは靱帯に炎症を起こしていたのだ。
続く3回戦でも松本は先発したが、すでに限界。3回途中9失点で降板。チームも敗退した。
これだけならば、よくある「登板過多」「エース酷使」のエピソードの一つになるのだが、盛岡大附の場合は、ちがった。松本の件を反省材料として、エース1人に頼るチーム作りをやめ、複数投手を登板させる体制を作った。そのうえで、2017年、甲子園に戻ってきて春・夏ともにベスト8まで勝ち上がったのだ。
「松本の失敗から学びました」と語る同校の関口清治監督は、軸になる投手は存在するにせよ、1人の投手に過度な負担が掛からないようなチーム作りに一新していた。
氏原氏の取材に答える関口監督のコメントは示唆に富むものだ。2014年の采配を「指導者のエゴだった」と厳しく反省しながらこう振り返っている。
「2014年のチームはエースの松本と2、3番手の投手に力の差がありました。それで、どんな試合でも『松本、松本、松本』という偏った起用になっていました。勝つことで何よりチームに力がつく。そう思い込んだ私は『大事な試合は松本が投げる』というチームづくりを浸透させてしまったんです。指揮官のエゴが原因で、2番手以降の投手を育てることができなかった。そのために、エースの松本がケガをしていても、2、3番手投手を起用することすらできない状態をつくってしまっていた。夏の大会を迎えるまでの過程に、監督のミスがありました」
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