見せしめ逮捕、“シーソーの拷問”で自供強要… 毛沢東暗殺謀議で処刑された「日本人スパイ」娘の告白

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シーソーの拷問

――山口氏の逮捕には、当時の国際情勢が絡んでいたのは間違いない。

 1950年6月、朝鮮戦争が勃発。中国は10月に義勇軍を募って参戦し、米軍と戦火を交えている。

 当時、周恩来首相らは「国民党特務や米帝国主義など外国のスパイ組織の摘発を急ぐように」と北京の司法機関や警察組織に指示していた。当時の北京は米英ソなどの各国のスパイによる国際情報戦の中心だったのだ。そんなところに、怪しい「図」が発見された。これを絶対的指導者・毛沢東の暗殺計画の証拠に仕立て上げれば、国内に潜むスパイたちへの格好の見せしめ材料になると思ったのだろう。

「逮捕されてからの、父の取り調べは過酷なものだったそうです。父の後、別件で逮捕された神父さんから、のちに伺った話によれば、当時の獄中では取調官が激しい拷問をしたそうです。彼は父が入れられたのと同じ刑務所で取り調べを受けたのですが、当時もう60歳くらいだったにもかかわらず、椅子に腰を縛られて、動かないようにされた。で、両脚を伸ばして、足の先を別の椅子に縛り付け、固定する。その伸びた両脚の上に長方形の板を乗せて、シーソーのようにして、その両脇に取調官が腰を下ろして、ギッタンバッコンと上下させるのです。神父さんは足を骨折してしまったほどだった、と。このほか、水は飲ませない。眠らせない。食事も抜きで、24時間拷問責めだったといいます。音を上げた神父さんは高齢でもあり、『もうやめてくれ、何でも話す』と言うと、中国人の取調官は『お前への拷問なんて、こちらが手加減してやっているくらいで、大したことはない。山口の拷問に比べたら、お前のなんて、まったく軽いもんだ』と言っていたというのです。

 父が処刑される3日前、つまり裁判までの3日間は本当に殺されそうなひどい拷問が行われたそうです。きっと裁判までに何とか犯行を自供させて、調書をとってそれをもとに起訴しようとしたに違いありません。でも、それほどのひどい拷問でも『山口はまったく、何も白状しなかった』と取調官は神父さんに言っていたそうです。

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