知られざる「日中」影の歴史 毛沢東暗殺謀議で処刑された「日本人スパイ」娘の告白
天安門を迫撃?
「50年2月に、OSSの最高幹部の一人が我が家を訪れ『最後の飛行機が明日出るので、君たち家族もそれに乗って、日本に帰った方がよい』と説得しに来ました。しかし、父は『私は中国が好きだから、北京に残る。私は中国には何も悪いことはしていない』と言って取り合いません。父と母が『北京に残る、残らない』で激しい口喧嘩をしていたことを覚えています。母は北京に残ることで私たち4人の子どもが危険にさらされるのではないかと心配していたのだと思います。ただ、父はまったく意に介していませんでした。
が、母の予感は的中します。半年後のこと……。
その年(50年)9月のある夜、母と私たち(きょうだい)4人が自宅にいたとき、突然、中国の警察が入ってきて、父の行方を尋ねたのです。そのとき、父は知人のところに行っていて留守でした。彼らは隣家のイタリア人のアントニオ・リヴァさんの家も捜索して、リヴァさんはそのまま連行されてしまった。
私たちはあとから知ったのですが、父が送った国際郵便のなかに、天安門楼上にいる毛沢東らを迫撃砲で狙おうとした図が入っていたというのです。
かつては武器商人だったリヴァさんの自宅からも、もはや使い物にはならないほど古びた迫撃砲や武器が見つかったのです。中国側はそれを毛沢東暗殺の陰謀の動かぬ証拠と決めつけ、父と、リヴァさんなど父の周辺にいた友人を次々と逮捕したのです」
(2)へつづく
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