知られざる「日中」影の歴史 毛沢東暗殺謀議で処刑された「日本人スパイ」娘の告白

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運命を変えた選択

「終戦後も、父は中国が好きで北京に留まりたいと言っていましたが、日本は敗戦国で、父が勤務していた総公会は廃止され、収入は途絶えています。私たち一家6人の生活費は必要ですが、当てはありませんでした。いずれ日本に帰らなければなりません。ところが、母の知り合いの白系ロシア人のつてで、『北京駐在の米軍の武官が中国事情に通暁している人物を探している』という話を聞いて、紹介してもらったのです」

――この米軍武官は第2次世界大戦中のアメリカ軍の諜報機関である戦略情報局(OSS)の要員だった。この選択が、山口氏の運命を大きく変えてしまった。

「父はOSSに見込まれて、中国の政治経済、社会、あるいは共産党の動きなどを英文で毎週、リポートしていました。といっても、それは新聞情報程度のものです。当時の北京には英語でリポートを書くことができる中国通はおらず、父は重宝されたようです。父は私にOSSの人たちについて、『彼らは本当に中国のことを知らないな。本当に大丈夫かな』と言って、米軍の情報機関の中国認識の浅さを心配していたくらいです。ただ、彼らにリポートを書けば、月に50ドルもらえました。その後、父のリポートに貴重な情報が載っていることが認められて信頼され、最終的には月100ドルと倍になりました」

――日本に勝利した後の中国では、それまで抗日で力を合わせていた国民党と共産党による「国共内戦」が勃発し、激しい戦闘が続いていた。48年になると主要都市は共産党の人民解放軍が押さえ、主導権を握った。49年1月末には解放軍が北京に入城し本格的な共産党統治が始まる。国民党政府要人は台湾に逃げ、北京に残っていた者は投降。米国大使館員や米軍関係者も北京から撤退した。アメリカの諜報機関と関わりを持つ山口氏も、当然、“危険”だったはずだが――。それでも彼は中国に留まり続けた。

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