ボストン美術館が“至宝の絵巻”を所蔵するワケ〈誰が「国宝」を流出させたか〉
「国賊」の声に富田は…
とはいえ、昭和8年といえば日本が満州国を成立させた翌年にあたる。また同年3月には国際連盟を脱退する。国粋主義者の声が日増しに喧(かまびす)しくなる当時の日本で、国宝にも相当する《吉備大臣入唐絵巻》を海外に持ち出した富田は「国賊」と呼ばれた。対する富田の言葉がふるっている。
〈あの時分の金で六、七万ドルだつたが、(中略)日本で出せないことはなかつたのだろうが、なぜ買わなかつたかと思つたのである。私は、売りに出ているから買つた。誰も買手がなかつたから買つた〉(「芸術新潮」1958年8月号)
政府にとってこの事件は衝撃だったようだ。その証拠に急遽「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」を成立させ、昭和8年4月1日より施行する。この法律は準国宝級の美術品も輸出を制限するもので、《吉備大臣入唐絵巻》の海外流出を念頭に置いたのは明白だった。
ボストン美術館は他にも、明治15年(1882)から8年間日本に滞在し、4万1千点もの日本美術品を同館に寄贈した医師ウィリアム・ビゲロー(1850〜1926)蒐集のコレクションや、ボストン美術館の中国日本部長などを務めた岡倉天心(1863〜1913)が買い付けた優品を所蔵している。実は冒頭に記したボストン美術館浮世絵名品展の出品作のうち8割以上がビゲローの手によって蒐集されたものだ。
(2)へつづく
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