ボクシング連盟「山根明」氏が明かす半生 韓国から密航、息子との極貧生活…

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「最後の女ダカラ」

 2番目の奥さんとは31歳の頃に結婚して、20年近く一緒におりましたかね。結婚してから、彼女は、大阪の西中島のマンションの1階で喫茶店を始めました。ただ、僕があんまりにも金持ち出すんで、途中からはスナックもやり出した。

 とにかく、僕が海外遠征するたびに金を持ち出すもんやさかい、ある時、「ボクシングをやめてくれ」と言われてね。「私も年取ったら生活していかんならんから」って。そしたら息子がね、「親父に道楽させてくれ。年取ったら俺が全部面倒見るから。親父の思い通りにさせてやってくれ」と言ってくれてね。でも、そんなやり取りを十数年も続けていたある時、海外から帰ってきたら店も荷物もなくなってて、本人も行方不明になってしまった。

 3番目の奥さんとは籍は入れませんでしたが、20年くらいは一緒に住みましたかね。ただ、その間は息子からお金を貰ってボクシング関係をしていました。アマチュアボクシングは息子なしではできなかった。サラ金からの借金も2億円くらいありましたけど、息子が全部整理してくれました。

〈山根家の関係者が言う。

「1997年頃から現在までの約20年間、山根会長の金銭面などの面倒を見てきたのは、息子の昌守氏です。彼は17歳の時に家を出て、20代で自動車販売会社を立ち上げて成功し、金があった。その彼が電気、ガス、水道はもちろん、毎月10万円を山根会長に渡し、奥さんにも、その都度、数十万円を出してあげたりしていた。昌守氏は親の七光で連盟の副会長をやっているように報道されていますが実態は逆で、息子のほうが父親の面倒を見てきたのです」

 2番目の奥さんが出奔して途方にくれていた山根会長に大阪・十三(じゅうそう)のマンションを買い与えて住まわせたのも昌守氏で、

「父親が連盟の会長に就任した後は、2千万円で十三に一軒家を建ててあげ、700万円のロレックスや、同じく700万円のマイクロバスの他、ベンツもプレゼントしている。ただ、山根会長の4番目の奥さんは今里新地で韓国クラブを経営していて金があるため、昌守氏に金を無心することはない」(同)

 今回、取材に同席した4番目の妻の智巳さんは山根会長への思いを、決して流暢ではない日本語でこう語った。

「はじめは会長、私に同情の気持ちで、女を助けてあげたいと思とる気持ちだったんですけど、それがだんだん愛に変わったということデスネ。私は山根明会長を最後まで守る、最後の女ダカラ。この男はカネもない、歳もいってはる、でも私が見てきたこの世の中の男の中で、一番、男の中の男だと思っています。こういう人こそ支えてあげたい、最後まで」〉

 この人(智巳さん)と結婚してからも、40歳と46歳の彼女がおって、ずっと関係あったんですよ。

 男は口じゃないです。やっぱり心でおったら自然と惚れてくれるんです。僕は飲み屋に行って女性をさすったことありません。相手側から食事と言われても、自分から手も握ったりそういうこともしてませんから。

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