ボクシング連盟「山根明」氏が明かす半生 韓国から密航、息子との極貧生活…
4度の結婚歴
〈ここで改めて振り返っておくと、山根会長が世間の耳目を一身に集める存在となったきっかけは、7月27日、「日本ボクシングを再興する会」を名乗る集団が、日本オリンピック委員会(JOC)などに1通の告発状を提出したことだ。告発人に名を連ねたのは、各都道府県のアマチュアボクシング連盟幹部ら総勢333名。告発事実は、「アスリート助成金の不正流用の教唆及び隠蔽」「試合用グローブ等の不透明な独占販売」「公式試合における組織的な審判不正」など、十数項目にも及んだ。
「奈良判定」や「おもてなしリスト」についてワイドショーが連日取り上げる事態となる中、現役の世界チャンピオンまでもが“参戦”。ロンドン五輪男子ボクシングミドル級金メダリストでWBA世界同級王者の村田諒太(32)がフェイスブックにこう記したのだ。
〈そろそろ潔く辞めましょう、悪しき古き人間達、もうそういう時代じゃありません〉
ちなみに、村田のプロ転向に最後まで抵抗したのが山根会長。ロンドン五輪の決勝戦の際、山根会長の息子で連盟副会長の昌守氏(53)が村田のセコンドに急遽入ることになった背景には山根会長の命令があった、とも報じられた。
助成金の不正流用を認めざるを得なくなるなど、当初は“めった打ち”にされていた山根会長だったが、8月に入り、反撃に出る。新聞やテレビの取材に応じ、審判の不正判定疑惑などについて全面的に否定したのだ。特に、観る者に衝撃を与えたのが、3日放送の日テレ系「スッキリ」だ。ヤクザ顔負けの出で立ちで現れた山根会長は独特の口調で「カリスマ山根って言われてる」と自らについて評し、村田については「生意気だよ」と吐き捨て、生放送にもかかわらず、実際に存在した山口組系暴力団組織の実名を口にするなど、放送事故寸前の番組となったのだ。だが、山根会長にとって、この生出演はどちらかと言えばプラスに働いた。何しろ、あまりに強烈なキャラクターに注目が集まったおかげで、告発の細かい内容が霞んでしまったのだから――。
山根会長が連盟の会長に就任したのは2011年である。連盟に関わるようになったのは1976年頃だったという。それでは一体、彼はどのような人生を歩んだ後に連盟に関わるようになったのか。山根会長がその「空白期間」について詳細に明かすのは、今回が初めてだ。〉
ボクシングとの関わりは、そもそも、親父がボクサー上がりですからね。親父は戦後、大阪の堺市のボクシングジムのオーナーをやっていまして、僕は10歳の時に密航で日本に戻って、12歳から本格的にボクシングを始めました。
結婚歴は、籍を入れてないのも含めると4回。最初の嫁さんは今里の塗装会社の娘さんだった。金融とか不動産とかも扱う会社のお嬢さんだったね。息子の昌守はこの最初の奥さんとの間にできた子供です。23歳の時から同棲して、25歳で結婚して6年間嫁さんの実家で暮らしてから離婚しました。その期間は、嫁さんの実家の塗装会社の工場で働いていたのですが、その後は、ずっとボクシングボクシングで、いつも奥さんに面倒を見てもらっていた。
連盟に関わる前、僕は近畿アマチュアボクシング連盟と韓国との交流の橋渡しをやっていました。僕がアニキと慕っている親族が韓国アマチュアボクシング連盟の副会長で、釜山連盟の会長をやっとった関係で、日韓のことを全部サポートさせていただいた。具体的には、近畿チームが韓国に行く時に僕が同行して面倒を見る。韓国チームが日本に来た時には、案内役から運転手から買い物まで、何でもこなしていました。
2番目の奥さんには、もう、迷惑どころの騒ぎじゃないくらい迷惑かけましたね、ボクシングで。帰化したのもこの奥さんの時で、今、僕が名乗っている山根という姓はこの奥さんの姓なのです。最初の奥さんと離婚して家出た時、息子はまだ5歳でね。行くところがないので、6カ月間、息子と2人で車の中で寝起きしてました。それから、後に2番目の奥さんになる彼女のアパートに行って、無理を言って息子と一緒に寝かしてもらうようになった。
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