ボクシング連盟「山根明」氏が明かす半生 韓国から密航、息子との極貧生活…

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 助成金流用などの問題を受け、日本ボクシング連盟会長の座を退いた山根明氏(78)。その強烈なキャラクターで世上を大いにザワつかせた彼はどこで生まれ、如何なる人生を歩んで来たのか。辞任前の5日、山根会長は「週刊新潮」のインタビューに応じ、謎に包まれてきたその「空白期間」を明かした。この時は“会長を辞めるつもりはない”と語ったが――。

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 僕がテレビに出て喋ったのは、「過去をばらす」と脅迫されたからです。脅迫の中身は、「お前は韓国人や」と。韓国から密航してきて、大村収容所に入ったことをばらすぞ、と。これは真実なんです。韓国から密航してきたのも、在日朝鮮人を韓国に強制送還するための施設である大村収容所に入ったことがあるのも、全て真実なんです。

〈渦中の人、日本ボクシング連盟の山根明会長が本誌「週刊新潮」の取材に応じたのは8月5日。場所は大阪市内の自宅で、妻の智巳さん(51)も同席した。ホワイトグレーのスーツにティアドロップのサングラスという格好の山根会長は身振り手振りを交えながら、自らの半生を初めて明かしたのだった。〉

 僕の母親は韓国人で釜山出身なんですけど、神戸で育って、神戸で女学校まで行ってます。お嬢さんでしたからね。で、日本で僕を産んだのですが、終戦の後、事情があって、父親を日本に残して、母親と一緒に釜山に渡ることになった。

 でも、6歳の時に離れたもんだから、毎日、親父が恋しくて恋しくて。だから10歳の時に不法入国、密航した。魚取る小さなポンポン船にお金渡してね。でも捕まってしまって大村収容所に入れられて、釜山に強制送還された。そして、その数カ月後にまた密航して、また捕まってしまうのです。ただ、この2回目の時は、親父の人脈で、大阪の岸和田出身で郵政大臣までした、松田竹千代いう国会議員にお世話になって、保証人になってもらって収容所から出られた。その後は日本にそのまま定住しました。

〈山根会長の携帯電話の呼び出し音は映画「ゴッドファーザー」の「愛のテーマ」である。この名作映画の主人公は、少年の時に父母と兄を殺され、イタリア・シチリア島から移民船で単身、アメリカへ移住したヴィトー・コルレオーネ。山根会長の境遇とどことなく重なる部分があるが、そのことを指摘すると、アマチュアボクシング界のゴッドファーザーは、おもむろにサングラスを外し、嗚咽を漏らした。そして、溢れる涙をティッシュで拭いながら、話を続けたのである。〉

 辛かったですよ、そりゃ。僕はアマチュアスポーツやってますからね。当時なんかは差別がいっぱいあった。「朝鮮人、朝鮮人」って周りに言われましたね。だけど僕は日本人になって、連盟に入りました。僕はね、日本国の日の丸大好きなんですよ。最高に愛しています。だけど同時に韓国、北朝鮮愛してます! スポーツには国境がありません。

 日本に帰化してから40年近くになります。帰化する時には、ボクシングの関係で知り合った10人ほどの大学の先生に保証人になってもらいました。あと、その時に中山正暉(まさあき)いう衆議院議員の先生にもお世話になった。僕は中山先生のボディーガードも長いことしてたんですよ。推薦状などの帰化の書類は中山先生の秘書の原田さんが法務局に出してくれて、それでオーケーになりました。

〈梁石日の『血と骨』もかくやという人生はそのようにして始まったわけだが、彼の帰化に協力したという当の中山正暉元代議士は、

「原田という秘書は確かにおりましたけれど、いろんな方が来られたものですから、ちょっと分からないですね……」〉

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