道ならぬ恋、妊娠… 「有馬稲子」が怨みを綴った有名監督の名

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人として許せない

 樋口氏が明かす。

「インタビューがひとしきり終わると、私に『このことは触れないわけにはいかない。お話だけさせてください』と言われ涙ながらに話したのです」

 それが著書の中では、

〈家庭も荒んでいましたから、優しく頼れる父性に病的に飢えていた。(略)17歳も年長で、ねんねの私にはこれほど頼りがいのある男性はいなかったんです〉

 その男性こそ、10年前に亡くなった巨匠、市川崑監督(享年92)に他ならない。

 2人の関係は昭和28年公開の映画「愛人」で、21歳の有馬が起用されたのを機に、7年間続いた。有馬自身がかつてエッセイで書いたため、市川監督との不倫や子供を堕ろしたことは一部で知られるようになったが、今回はさらに踏み込んでいる。

「子供に恵まれなかった有馬さんは現在、一人暮らし。日々のなかで、監督を許せないという思いをだんだんと募らせているようでした。子供を堕胎したことで妊娠できなくなったと、目を真っ赤にして監督への怒りを語っていました」(同)

 詳細は、本をご覧いただくとして、当時、妻と別れると言いながら何度も結婚を引き伸ばされた有馬は、

「交流のあった川端康成先生に相談したそうです。川端先生は、“そんな男は君と結婚するはずがない。別れなさい”と一刀両断されたと言っていました」(同)

 有馬が中村錦之助と婚約後も、市川監督は「どうしても結婚するなら、3カ月に1度、会ってくれ」と関係の維持を迫ったという。

「有馬さんは、そこでようやく目が覚めたそうです。今も映画監督としての才能は尊敬しているものの、『人としてのあり方が許せない』と言っていました」(同)

 今頃、泉下の監督は、何を思うのか……。

週刊新潮 2018年8月9日号掲載

ワイド特集「台風一家」より

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