松井秀喜“敬遠”が生んだ国民的論争――「夏の甲子園」百年史に刻まれた三大勝負
後に語った「あの作戦は当然」
驚いたのは、高野連と主催の朝日新聞が明徳批判に終始したことだ。ルールを破ったわけでもない明徳を一方的に批判し、グランドへの物の投げ込みに同情を示す本末転倒の態度をとったのである。
清々(すがすが)しさ、高校生らしさ、爽やかさ……それは、高野連と主催新聞社がつくり上げてきたものだ。しかし、そんな“美談の高校野球”に真っ向から挑戦し、甲子園が究極の「勝負の世界」であることを天下に示した試合。それが星稜―明徳義塾戦だったのである。
この試合から17年後、馬淵監督が筆者に語ってくれた言葉が印象深い。
「高校野球は、おカネのためにやるものでも、観客のためにやるものでもない。歯を食いしばって、ただ勝利を目指して球児たちがやるものです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』ではありませんが、私たちは、あのとき星稜打線を徹底的に分析して“全力を挙げて敵の分力を撃つ”という作戦を採りました。結果的に月岩君に辛い思いをさせてしまった。いつかは“申し訳なかったなあ”と、月岩君とじっくり話したいと思っているんですよ」
平成21年、35歳になっていた月岩君も、筆者にこう語ってくれた。
「自分への攻め方はすべて当たっています。馬淵監督がそこまで僕のことを研究してくれていたことは逆に光栄です。ルールに則ったことですから、あの作戦は当然でしょう。これは僕が打てなかったということに尽きます。山下監督は最後まで僕を使ってくれたし、本当に自分は幸せ者だなあ、と思います。馬淵監督とも是非話したいですね。あの経験は僕にしかできなかったものであり、僕にとっては、人生の宝ですから」
勝負の世界でぶつかり合った当事者同士は、本当に爽やかなのに、高野連やら朝日新聞が出張ってくると、なぜこれほど本質が歪(ゆが)められてしまうのだろうか。
(2)へつづく
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