松井秀喜“敬遠”が生んだ国民的論争――「夏の甲子園」百年史に刻まれた三大勝負
高校野球の本質を問う試合
さまざまな点で平成4年2回戦の星稜―明徳義塾戦は甲子園に特筆される名試合だった。それは、高校野球とは何か――という本質を問う試合だったからだ。
星稜の4番松井秀喜に対して採った明徳の徹底した敬遠策が、社会的な論争を巻き起こし、明徳の宿舎には放火予告などの脅迫や非難、また一方で応援の手紙やメッセージが殺到し、以後の明徳の練習には、警察による警備がつくなどの大騒動となった。
この試合はこれらの論争とは別に、ある意味、高校野球に根源的な問いを投げかけるものだったと言える。それは、「力の劣ったチームが一発勝負の甲子園で、戦略と創意工夫で強豪校を倒すことができるのか」ということにほかならない。言いかえれば、高校野球は有力選手を集めた方が勝つのか否か、ということだ。
松井選手がいかなる怪物だったか。日本のプロ野球だけではなく本場アメリカのメジャーでのその後の大活躍など、説明は要すまい。明徳の馬淵監督が「高校生の中にプロの選手がひとり入っている」と洩(も)らしたように、ミート力、飛距離、選球眼……なにをとってもケタ違いだった。
しかも、明徳はこのときエース岡村が肘(ひじ)の故障で投げられず、制球力はいいものの、スピードが130キロに満たないセンターの河野で闘わざるを得ないハンディを負っていた。「エースの岡村なら勝負だが、河野では松井との対決は無理」というのは、馬淵監督でなくても、当然の結論だっただろう。しかし、そこから社会人野球の監督経験もある馬淵監督ならではの作戦が編み出されるのである。
それは、「松井を敬遠した場合、果たして次打者を打ちとれるか」という点に尽きた。松井を敬遠すれば、当然、大量失点に結びつく可能性がある。この作戦が採れるか否かは、あくまで「次打者」を打ちとれるかどうかにかかっていたのだ。星稜の5番月岩は長打力、ミート力とも優れたスラッガーである。どこか月岩に弱点はないのか。馬淵監督による徹底分析が続いた。
「左肩の開きが少し早い」
馬淵はやがてそのことに気がついた。「このスイングなら内角高めと外角低めの“対角線上の揺さぶり”で打ちとれる。特に最後は、外角低めのカーブが有効だ」。馬淵はそう結論づけた。これでいける、と。
前夜のミーティングで馬淵は、「明日の試合は、こっちが松井と勝負せざるを得ないところに追い込まれるか否かに勝敗がかかっている」と選手たちに告げた。
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