脱税1億3千万円! 3年で5億円を稼いだ「大阪城のたこ焼き屋」の肖像

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テキヤはやらないので…

「最初のきっかけは1975年よりももっと前、タツ子さんの夫の武彦さんが豊国神社の前の宮司に“軽自動車を置いてホットドッグを売らせてくれないか”と頼んだこと。当時は今のように観光客は多くなく、神社としては、多少賑わうならいいか、とオーケーを出したそうです」(宮本茶屋関係者)

 テントを設営し、そこでたこ焼きなどを売るスタイルに“進化”したのが75年頃だった。

「さらに、平成に入った頃、現在のようにコンテナを置いて、たこ焼きなど様々な商品を扱うようになりました。どうしてコンテナを使うのかというと、大阪城公園は文化史跡なので、勝手に建築物を建ててはいけないから。だから、あくまでコンテナを置いてあるだけ、という形態にしているのです」(同)

 当初から神社側は地代を取らず、経営にもタッチしなかった。その代わり、神社のイベントなどの際には、宇都宮一家が作業を手伝ってきたという。

「武彦さんが亡くなった後、次女夫婦が神社側に“私たちはテキヤはやらないので商売を続けさせて下さい”と頭を下げた。要するに、私たちはヤクザではないので続けさせて欲しい、と頼んだわけです」(同)

 かくして店は存続したが、その際、税金を一切払わないという悪習まで受け継いでしまったわけである。

(2)へつづく

週刊新潮 2018年8月9日号掲載

特集「『橋下市長』をもっても大阪城から排除できず… 『たこ焼き屋のおばちゃん』が3年で5億稼いだ『鉄板ネタ』」より

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