東京五輪で「サマータイム」導入案浮上 1948年から実施で大混乱の暗黒史

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唯々諾々と従う日本人

 これに怒りを示したのは同じ読売新聞の朝刊1面コラム「編集手帳」だ。同年4月4日掲載分はこの問題を取り上げ、

《法律できめてあるから国民は不便だのなんだのとブツブツいいながらも一応夏時間は守っている◆それなのに官吏だけが何故それを守ることができないのか》

 と、相当に強い調子で糾弾している。

 さらに季節感の問題も発生した。4月や5月に「夏時間」と言われても、特に東北や北海道は困惑してしまう。桜も咲いていない地域さえある。

 世界で初めて人工雪の製作に成功した北大教授の中谷宇吉郎(1900〜1962)は52年4月2日、毎日新聞に「夏時間」というコラムを寄稿し、当時の混乱を振り返っている。

 本当は初年度が5月実施で、2年目が4月実施なのだが、記憶違いのためか中谷は「初年度が4月、2年目が5月」と誤記している。だが、そこに記録された情景はリアルなものだったに違いない。

《はじめて夏時間を採用した年の春、私は北海道の雪深い田舎にいた。4月1日は積雪最深期で、まだ6尺(編集部註:約1.8メートル)近く雪があった。最初の年は、4月1日から採用したのである。
「明日からサンマー・タイムですから、時計の針を1時間進めて下さい」という回覧板をもって、役場の人が、農家を一々回って説明した。
「サンマー・タイムって何じゃね」
「夏時間という意味で、夏は日が早く出るから、1時間早く起きることにするんだそうだよ」
「へえ、今、アメリカじゃあ夏なんかね」
という会話が至るところでかわされ、そして誰も不服をいわなかったそうである。
6尺の雪に埋もれ、あかぎれだらけの手足で冬仕事にいそしんでいた農民たちにとっては、「夏」時間は、まさに驚くべき異変であった。次の年から5月1日に延期されたが、事の本質にはちがいがない。すなわち日本のように気候の幅が広い国では、一律にことを決めることが無理なのである》

最も厳しかったのは主婦!?

 これが4年目、最後の年となると、もう世論は完全に怒っている。読売新聞が51年7月27日に発表した世論調査では、「あなたはサンマー・タイムが来年も続けて実施されるのに賛成ですか、反対ですか」の質問に、賛成は23.4%にとどまり、反対は74.8%となった。

 この世論調査を受け、読売新聞は「サンマー・タイム」に関する紙上討論を実施している。中でも怒り心頭なのは主婦と農家だ。まずは「東京・一主婦34」の悲鳴に耳を傾けていただきたい。

《子供たちの就寝時間を考えますと7時頃までに夕食をすませたいと思うのですが外はまだ明るく夢中で遊んでいる子供たちはなかなか家の中へ入ろうとはいたしません。やっと呼び入れて手足を洗わせていても、こんどは主人の方が帰ってまいりません。真直ぐに帰れば6時過ぎに帰り着くはずなのですが明るい中はやはり帰る気がしないと見え、お友達とちょくちょく麻雀などをして8時か9時にやっと帰ってくることもあります。
こういう風ですから主人の小遣いはもとよりガス代はかさみ、時間が不経済であるばかりでなく、家内中で夕食を共にする機会が少なくなり、何となく落ちつきを失います》

 非常に面白い証言だが、とりあえず先に進もう。次は「長野・農業・S生23」だ。

《1日の中で人間が一番疲労を感ずる時間は標準時間の1時から3時頃とされている。農村ではその間昼寝をするのが必要上生まれた習慣である。それがサンマー・タイムで標準時間の2時頃起きて灼熱の畑にでることは全く愚なことであるし、また植物に対しても良くないことである。午睡後一働きをして5時ごろ中休みをし、それから日の暮れるまでの涼しい間が最も能率が上がり、しかも疲労を感じない時間である。こうした理由から私達の地方では夏時間を励行している農家は極めて少ない》

 こうした記事を読むにつれ思い至るのは、当時の日本人は今よりも、よほど太陽の動きに従っていたという事実だ。毎日新聞が50年8月31日に掲載した社説「夏時間と国民生活」の一部を引用させていただく。

《欧米では、夕食は早くて7時、遅ければ10時、まず8時が普通だ。芝居は8時半か9時に始まる。日本では夕食は5時か6時が普通で、芝居も映画も9時前後には終わってしまう。日本人は都会生活者でも一般に早寝早起の習慣があって、この点は欧米の都会生活者とはかなり違う》

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