夏ドラマ「石原さとみ」と「綾瀬はるか」の“怪演”で思い浮かぶ“2人の名優”

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腹踊りと無愛想の競演

 綾瀬の怪演はおそらく、世間一般の母親像から最も遠い人物像、つまりは四角四面の仕事人間に綾瀬を擬するための演出。実際、竹野内の娘による綾瀬評も「おっさん」だし、その娘に謝意を伝えるため、綾瀬が学童保育所まで押しかけて披露するのは腹踊りで、これまたおっさん。いやもう、おっさんすぎです。

 もひとつ、「義母と娘〜」の綾瀬のようにカクカク動くおっさんなんて、今どき無能な役人にもいないし、まして有能なサラリーマンにはもっといないのに(島耕作の所作がロボコップみたいだったら、彼は初芝電器で係長にさえなれなかったはず)、なぜ、あそこまで綾瀬はカクカクしなきゃらならんのか。

 この2つの疑問を解く鍵がダスティン・ホフマン、というのがワタシの仮説で、具体的に言えば、制作サイドが綾瀬の演出・演技において「トッツィー」(82年)と「レインマン」(88年)を意識していなかったら奇跡だとさえ思ってます。男優が女優を演じる巧みさだけでなく不自然さも映画のキモになっていたのが「トッツィー」(綾瀬の場合、男女は逆だけど)だし、サヴァン症候群特有のカクカク演技によって見た目の生硬さの奥にある中身の柔軟さを浮かび上がらせたのが「レインマン」だからね。

 ロボコップみたいなおっさんを演じる綾瀬が今は隠していて、これから徐々に見せていくもの。それは、女としての柔らかさ、親としての優しさ、つまりは母性であるはずで、まぁ、そんなことは最初からわかってるんです。だって、「綾瀬初の母親役」が売りのドラマなんだもの。その母親にたどりつくために、ダスティン・ホフマン級、それも名画2本分の回りくどく、ややこしい怪演を求められる綾瀬はるかには、もう同情しか湧きません。

 ま、暑中見舞い代わりの怪演見舞いは石原さとみにも送りたいところながら、振り返れば4~6月期の「コンフィデンスマンJP」(フジ系・月曜21時)でも、長澤まさみ(31)が上滑り気味ながらコスプレ怪演を続けてた。長澤も石原も綾瀬もスター女優にとって剣呑な三十路越えの真っ最中、女もつらいよと痛感するところながら、今期の石原・綾瀬の場合、怪演が前期の長澤のように空回りしていないのは、男に騒がれる作品、男に媚びる芝居を目指していないためかも。

 隠れ巨乳が騒がれてきた綾瀬はるかがセックスアピール皆無の腹踊りする“義母”を演り、「シン・ゴジラ」以降の愛想を捨てた芝居を叩かれる石原さとみがその無愛想をさらに尖らせて“高嶺の花”を演じる。大変でつらくて怪演見舞いが必要なのは、かつてのおねえちゃん女優たちに見限られた男のほうかもしれません。

林操(はやし・みさお)
コラムニスト。1999〜2009年に「新潮45」で、2000年から「週刊新潮」で、テレビ評「見ずにすませるワイドショー」を連載。テレビの凋落や芸能界の実態についての認知度上昇により使命は果たしたとしてセミリタイア中。

週刊新潮WEB取材班

2018年7月31日掲載

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