遥々ユーゴスラビアに信者を派遣… 「オウム」が本気で研究した「超兵器」とは
麻原彰晃(本名・松本智津夫)を始めとする死刑囚たちに刑が執行されたことで、改めてオウム真理教という存在について注目が集まっている。「国家転覆計画」を企てていた教団は、海外にまで信者を派遣、ある兵器に強い関心を抱いていたようだ。写真週刊誌「FOCUS」(2001年休刊)は、95年5月24日号で「ユーゴで『超兵器』を研究したオウムの笑えない荒唐無稽」と題した記事を掲載し、以下のように報じている。なおユーゴとは、当時存在した「ユーゴスラビア連邦共和国」を指す。この後の03年に「セルビア・モンテネグロ」となり、世界地図からその名が消えたのはご存じの通り。
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日本テスラ協会員を名乗る日本人6人がベオグラードに着き、ニコラ・テスラ博物館を訪れたのは2月12日頃。「(電気工学者)テスラの偉大な業績と研究に興味を持っているので勉強したい」と依頼。また資料整理などの、ボランティアも買って出たという。入国関係のデータによると、6人とはナルミ・ヒロキ、ナガイ・ヤスシ、ヒラノ・サトシ、ハシモト・サトル、ヤマモト・ナオコ、ヨシダ・イチロー。現在では、全員がオウム真理教の信者と判明している。ハシモトは麻原教祖のSPS特別警備を担当、ヒラノは自治省幹部。セルビア日本友好協会が開いた歓迎会では、日本語が話せるユーゴ人に対しメンバーは異常な警戒心を示していた。
やっと資料閲覧の許可が出たのは3週間後で、すでに2人は帰っていたが、残りのメンバーは直ちに2台の大型コンピュータとスキャナーを博物館に持ち込み、さまざまなデータをインプットしていたという。特に興味を示したのは、「テスラが研究したといわれる地震起爆装置、小さな電力をより大きな電力に変換するジェネレーター、エネルギーを遠くに飛ばす装置など」(地元紙のイエレナ・ガリッチ記者)だった。さらに彼等は、「テスラの実用化されていない発明があったら日本に持ち帰りたい」ともいった。
ニコラ・テスラ(1856~1943)は、かつてノーベル賞をエジソンと同時受賞するというロイター電が誤報ではあったものの流れたこともあるユーゴ出身の天才的科学者。その名前が、現在も磁場の強さを表す単位として使われているほどである。もっともオウムのメンバーが興味を示したのは、もっぱら荒唐無稽に見える“地震兵器”だった。まあ、オウム自身は荒唐無稽と思ってはいないらしく、教団月刊誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」では、阪神大震災は地震兵器によって起こされたと主張。同じ特集でテスラにも触れ、彼が発想した超兵器がある権力によって実現化されている可能性についても言及しているのだ。
4月6日、岐部哲也容疑者が逮捕され、自動小銃の銃身が発見されたというアジトに、「日本秘密ニコラテスラ協会」のネームプレートがあったことが12日にユーゴに打電された。その日のうちに残った4人のうち2人が消え、メンバーがオウム信者と判明、地元紙などが騒ぎ始めた16日にはコンピュータなどを博物館に置いたまま何の挨拶もなく逃げるように残りの2人もいなくなったという。現地を訪れたメンバーのうち4人は現在までに帰国が確認されていない。オーストラリアでサリンの製造・実験をしたとされるオウム、超兵器なるシロモノに強い関心を示した彼らの狂気と執念は、子供じみた夢物語と笑ってばかりもいられないのだ。
「FOCUS」1995年5月24日号