キリスト教も? マリファナも? 禁じたものははやりだす(古市憲寿)

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 アムステルダムに「屋根裏教会」と呼ばれる場所がある。外側から見れば運河沿いによくある5階建ての家。しかし建物の上層3フロアがぶち抜かれて、教会に改造されているのだ。

 現在は博物館になっているのだが、そこに教会があるとはまるでわからない。隣はカフェだし、近くにはマリファナを売るコーヒーショップも建ち並ぶ。だが内部は完全に教会。今でも毎週日曜日にはミサが行われているという。

 17世紀、オランダでカトリック教徒が公の場での礼拝を禁止されていた時代のものだ。こんな教会を造ってしまう信仰心に驚かされるが、そもそも宗教の歴史とは弾圧の歴史でもある。キリスト教は他宗教を厳しく迫害し、自らも弾圧に遭ってきた。

 禁止されることは、時に信仰を強化する。日本でも「かくれキリシタン」と呼ばれる人々が数世紀にわたり熱心に信仰を守ってきたことが有名だ。

 彼らが特殊なのは、ヨーロッパから切り離され、独自に信仰を発展させたこと。ラテン語の祈りも、オラショという摩訶不思議な呪文に変わってしまったし、絵の中の洗礼者ヨハネはなぜかちょんまげを生やし、着物をまとっている(広野真嗣『消された信仰』)。

 すごいのは、当事者にとっても意味不明になってしまった呪文が、何世紀にもわたって伝わってきたこと。信者たちは、口伝で何週間もかけてオラショをマスターしたのだ。

 しかし、そのかくれキリシタンも衰退の危機にあるという。信仰が伝わる長崎県の島々でも、若者は都市に出てしまい、少子高齢化が進んでいるのだ。

 皮肉なのは、宗教の自由がなかった江戸時代に生きながらえた信仰が、信教の自由が担保されている現代日本で消えようとしていること。あり得ないが、もし今の日本でキリスト教が禁止されていたらどうだろうか。もしかしたら、秘密の宗教を求めて若者たちが、かくれキリシタンの島に押し寄せていたかも知れない。

 禁止が魅力を増すといえば、マリファナも同じだろう(宗教とドラッグを同列に並べたら怒られそうだが、マルクスも「宗教は阿片」と言っていたし)。オランダではマリファナなどのソフトドラッグが合法だが、全く関心を示さないオランダ人も多い。知人も「あんなものは観光客向け」と言っていた。マリファナに対する幻想も嫌悪もなく、数ある嗜好品の一つなのだ。

 日本では大麻を巡る事件が絶えないが、そもそも「禁止」が薬物の魅力を高めている可能性がある。

 アムステルダムでは、マリファナも売春も合法だ。しかし人々が自堕落な日々を送り、街が退廃しているかといえば、そんなことはない。むしろ自分なりの倫理観を持って行動している人が多いと聞く。実際、統計上も治安は悪くない。

 不況に悩む出版界も、いっそ活字禁止や、紙の出版物が禁止となったら、人はこぞって本や雑誌を読み出すのかも知れない。まずは週刊誌を禁止しますか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年7月26日号掲載

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