【特別対談】定時で帰る働き方(上)
いまや、サラリーマンにとって最大の関心事と言える「働き方改革」。今後の労働環境に大きな変化をもたらすその関連法が6月29日に成立し、2019年4月に施行される。サービス残業による過重労働の防止や同一労働同一賃金の義務化など、政府が労働者保護の観点から進めてきた目玉施策だ。
3月に出版されるや各方面で大きな話題を呼んでいる小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)は、その「働き方」をめぐる議論にも一石を投じた。著者の朱野帰子氏と、「働き方改革のカリスマ」として知られる元東レ取締役の佐々木常夫氏が「定時で帰る働き方」をテーマに語り合った。
生産性低い日本のホワイトカラー
佐々木常夫 この小説『わたし、定時で帰ります。』、非常にタイムリーなテーマでしたね。半分くらいまで読み進んで、これは平凡な結末で終わっちゃうのかな、と思ったんです。それで気になったので先に後ろの方を覗いてみたら、何だかとんでもないことが起こっていた(笑)。意外な結末に驚きましたが、作家としてはこれが何作目になりますか?
朱野帰子 7作目です。デビューして9年になりますが、私は書くのが遅い方で……。
佐々木 私が最初の本を出したのが2006年でしたから、デビューは同じくらいですね。ずっと本を書くことを志望されていたのでしょうか。
朱野 はい。でも、大学卒業後は堅実なサラリーマンとして就職したんです。最初の会社に7年、次の会社には2年務めました。就職した当初は「二足の草鞋で作家を」なんて考えていたんですが、転職してすぐに大阪に転勤することになりまして。やむなく、作家専業ということに落ち着きました。
佐々木 正解でしたね。
朱野 退路を断たれてしまいまして(笑)。佐々木さんは『わたし、定時で帰ります。』の元祖ともいうべき存在で、サラリーマン時代に定時での退社を実践されていたんですよね。
佐々木 入社した時から社内で「変わったヤツがいる」って評判になりまして。「東レのマイノリティ」と呼ばれていましたよ。
朱野 入社した時からですか?
佐々木 そうなんです。というのも、私には「人生で大切なのは自分だろ?」という考えが基本にありましたから。仕事は面白いし会社のために頑張るのも良いんだけど、「最終的には自分のためにやることなんだ」という意識が強かったんです。ところが、当時は長時間労働が当たり前の時代でしたから、周りはなかなか私の考え方を許してくれませんでした。上司はそれこそ長時間労働の権化みたいな人ばかりで、定時の17時が過ぎても関係なくて、18時から会議を始めたり、金曜日になって「明日も出て来るように」なんて平気で言うんです。そのたびに私は「こっちにも都合がありますから、そういうことは前もって言って下さい」とお願いしなくてはならなくってね。相手も言われた時は気を付けるんですけど、やっぱり少しずつ元に戻っちゃう。次第に私は「この人たちには頼んでも無理だな」って思うようになりました。
朱野 そういう時代とはいえ大変でしたね。
佐々木 ですから、いずれ課長になった時に備えて「絶対にやらないこと」と「絶対にやること」をノートに書き留めておくことにしたんです。それで晴れて課長になった時は、いの一番に部下たちに「定時で帰ろう」って宣言しました。その部署も毎月60から70時間は平気で残業していましたから、そこでも「どうにも変なヤツが来た」と言われましたけども(笑)。
朱野 そういう職場環境の中で、どのように定時退社を実践されたんですか?
佐々木 私は新たなプロジェクトを始める時、必ず上司と「こういうやり方で生産性を上げて残業を減らします。しかし、結果は出します」という具合に約束を交わしていました。その上で中途報告の際に「求められた結果は出ました。残業もこれだけ減りました」と伝えると、上はもう何も言いませんでしたね。
朱野 しっかり結果が出ていたからですね。
佐々木 でもね、当初は意外なところに最大の抵抗勢力が潜んでいたんです。それは何だと思いますか? 他でもない、部下たちですよ。とにかく彼らが言うことを聞かない。「こんなに大事な仕事をやっているのに課長は早く帰れと言うんですか?」と食ってかかられた事もありました。私がどうして定時で帰るのを嫌がるのか尋ねると、「残業代が減るから」という現実的な理由もありましたが、ほとんどは「家に帰ってもやることがない」って言うんです。そんなわけで、ほとんどの部署は私が去ると長時間労働に戻っちゃいました。
朱野 なかなか難しいですね。
佐々木 ただ、こういう取り組みを重ねていくと、社内で評判になるんです。私は3年以内に必ず異動していたんですが、移った先ではすでに「例の人が来たぞ」「残業が減るんだって」「生産性を上げるらしいよ」というように身構えているんです。それが事前の心構えになったのかどうか、いざ仕事が始まると、ほとんどの人は私の方針に納得してついてきてくれましたけども。
朱野 佐々木さんの取り組みは、様々な経験を経て定着していったんですね。
佐々木 そういうことです。仕事で結果を出していくと、その手法は「あのやり方で結果を出したのか」と評判になります。私は海外勤務も含めてほとんどの部署を経験しましたから、キャリアを重ねていくうちに周囲が私のやり方を認めてくれるようになったんです。部下たちも言うことを聞き、仕事は楽に進むようになりました。社内での評判というものは往々にして当てになりませんが、時には役に立つこともあるんですよ。
朱野 定時で帰る働き方は、往々にしてプライベートを大事にしてゆったり働いているように見られがちです。でも、いざ実践しようとすると、自分にかなり厳しいマネジメントを課さなくてはなりません。佐々木さんはご著書の『部下を定時に帰す仕事術』の中で、「長時間労働はプロ意識と羞恥心の欠如である」と指摘されていましたね。正直、「厳しいなあ」と思ったんですが(笑)。
佐々木 ワハハ。先ほども言いましたが、東レでは所属したすべての部署が長時間労働をしていました。ですから私は、異動した初日に〈長時間労働とは〉と題したペーパーを配ることにしていたんです。「限られた時間の中で結果を出すのがプロである」とか「羞恥心の欠如」とか、かなり厳しいことが書いてあったと思います。でもね、ダラダラと夜遅くまで居残って、結果を出すならともかく、出せなかったらただのアマチュアですよ。羞恥心というのは、「あなたはたいした結果も出さないのに、恥ずかしげもなく残業代を請求するのか?」と聞きたかったから。20代や30代のアマチュアならともかく、40代のベテランにもなって、生産性の低さを長時間の勤務でカバーするのはいかがなものですか? ということです。
朱野 仰る通りですね。
佐々木 他にも「バランス感覚の欠如」とか「想像力の欠如」という項目もありました。想像力の欠如とは、「いまの仕事の進め方をしていたら結果がどうなるか想像すらできないのか?」という問いかけです。長時間労働を続ければ身体を壊したり、メンタルをおかしくする可能性がありますね。以前、テレビ番組の企画で、カリスマバイヤーとして活躍されていた方と話をする機会がありました。その方は「私はどの社員よりも早く出社して、どの社員よりも遅く退社しています」とか、「この1年で家族と晩御飯を一緒に食べたのは4~5回しかありません」なんて言うんです。私は心配になっちゃって、「そんなことをしていたら死んじゃうよ?」って返したんですが、その方はほどなくしてお亡くなりになりました。まだ53歳だったんですよ。
朱野 ずいぶんお若かったですね。
佐々木 気の毒なことではあるんですが、そういう事態を予測できないのが「想像力の欠如」なんです。部下たちに先のペーパーを配りながらこういう話をすると、一様にシーンと聞き入っていましたね。
朱野 「定時で帰る」というと、どこか幸せなイメージもあります。でも、経営側には社員の勤務時間の使い方について、とても厳しい要求があるんですよね。
佐々木 日本の製造業は世界で最強と言われていますが、その一方で日本のホワイトカラーの生産性は先進国の中で最下位です。要するに、日本企業のホワイト力ラーはブルーカラーのように生産性を上げる努力もせずにダラダラ仕事をして安心している。悪いことに、どの企業もだいたい同じようなものだから差が付くこともありません。
朱野 そうなんですか。
働き方は上司次第!?
佐々木 最近は「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が好んで使われているようですが、私が取り組んで来たのは「ワーク・ライフ・マネジメント」。ちょっと個人的な話になりますが、私の家内は病気で入退院を繰り返していましたので、幼い3人の子どもの面倒は私が1人で見なければなりませんでした。そこで私は家事にも優先順位を付けていました。最も大切なのは食事で、掃除や洗濯は二の次で構わない、という具合です。会社の仕事でも家事でもやるべきことは山ほどありますが、大切なのは限られた時間の中で「何を切り捨てるか」を判断していくこと。そういうマネジメントが仕事と生活のバランスを保つことにつながるんですよ。
朱野 佐々木さんは効率的な仕事の進め方について、「拙速に仕事をする」とか、「計画を立てる時には時間をかける」といった指摘もされていますね。
佐々木 私はいつも「鳥瞰図を描け」と言っているんです。全体を眺めて重要さの度合いを見極め、その上で時間をかけるべきもの、或いはさほど詰めなくても良いもの――それが拙速に進めるものに当たりますが、これらを取捨選択するんです。最初にそれを決めておかないと、時間的なロスが大きくなってしまうんです。仮に向こう1年間の仕事内容を議論するなら、「必ずやる」「時間があったらやる」というように優先順位を決める。その後に状況が変化したら、それに応じて計画を練り直せば良いんです。毎朝、出社するたびに出てきた仕事から手を付けていたら、生産性は決して上がりません。
朱野 私が最初に勤めた会社は裁量労働制を取り入れていました。出社時間も退社時間も自由です。そういう中で私は自分を上手にマネジメントできず、ダラダラした生活を続けていました。その次に務めた会社は製造業でしたが、定時での退社が定められている一方で、「あなたは1時間当たり何をしましたか」と、生産性に関する報告書の提出が義務付けられていました。振り返ってどちらの会社が大変だったかと言いますと、2社目の定時で帰宅できた方でした。と言うのも、8時間フルで働くと退社時間にはもうクタクタで頭は真っ白。燃え尽きたような感覚だったんです(笑)。実際には定時で帰ることが可能な会社の方が辛い、という事実はとても衝撃的でした。
佐々木 日本の製造業が強いのは、製造現場が必死に工程の短縮やコスト削減の改善に取り組むからです。ところがホワイトカラーはそういう議論は一切しません。私は様々な職場を回ったし、色々な会社のことも見聞きしていますが、彼らが仕事を効率的に進めるための議論しているという話は聞いたことがありません。この本の中で、主人公の結衣さんが「勤務時間を1時間伸ばしたら疲れちゃって大変だ」ってこぼす場面がありましたね。これは当然のことで、朱野さんがご経験されたように人間は8時間目一杯働いたら疲れるんですよ。夜中まで残業できるなんていう人は、どこか昼間に手を抜いているんです。
朱野 サラリーマン時代に「定時で帰ることって、こんなにしんどいことのなのか……」と実感をしたことを思い出します(笑)。
佐々木 今もそうですけど、国会の会期中は霞が関の官庁街に夜遅くまで灯かりがついています。でも、全員がしゃかりきになって働いているわけではありません。仮眠を取っている人もいますし、夏ならサンダルに半ズボンを穿いて在宅勤務をやっているような人もいるくらいですよ。それはさておき、先日、財務省の中堅職員と話をしましたら、「省内でも人によって仕事の進め方が全然違う」って言っていました。「死ぬほど働け!」とパワハラまがいのことを言う上司もいれば、「結果さえ出すならさっさと帰れ」という上司もいるそうで、やっぱり上に立つ人次第で働き方が大きく変わるそうです。そういえば、森友学園関連のニュースで話題になった佐川(寿宣・前国税庁長官)さんは、部下の仕事ぶりについてあれこれ強烈に言って来るタイプだそうで、「あれには誰も抵抗できませんよ……」なんてボヤいてました(笑)。
朱野 その点では、官公庁も民間企業もあまり変わらないんですね。
佐々木 私は「制度より風土、風土より上司」とも言っています。どんなに良い制度、例えば昨年3月に法改正で男性の育休制度が整備されましたが、なかなか利用者は出てきませんね。ほとんどの職場が育休を取れる雰囲気にないからで、これも部長や課長の人柄や意識によるところが非常に大きい。時折り、企業のトップがテレビや新聞などで政府の「働き方改革」に関する持論を披露していますが、一方でそれを苦虫を噛み潰したように見ている経営者は決して少なくないんですよ。それは、最近の企業のトップは押しなべて長時間労働を経験して出世してきた人たちなので、定時に帰るという働き方は自分の成功体験を否定することになるからです。5月に退任した経団連の榊原会長とは、東レ時代に同じ職場で仕事をした間柄です。実は、彼も長時間労働をされていたんですが、そういう人であっても「働き方改革」と言わざるを得ないように日本社会の雰囲気は変わってきました。この流れは今後も加速していくと思います。
朱野 佐々木さんの現役時代の取り組みが、長い時間をかけて醸成されてきたように感じます。
佐々木 でも、まだ本物ではありません。そういえば、この本の登場人物はほとんどが若い人ですけど、彼らはあまり長時間労働を嫌がっていません。ちょっと意外な印象があったんですが、考えてみれば現実社会でも「24時間戦えますか?」みたいな感覚を持っていて、長時間勤務を厭わない若手は多いようです。その点でも、定時での帰宅を信条にしている結衣ちゃんは本当に珍しい存在でしょう。
朱野 会社にいるだけで仕事をした気分になる人は、まだまだ多いんですよね。
「働き方」は「生き方」
佐々木 ところで、結衣ちゃんの周囲には同僚の三谷佳菜子さんとか、産休明けで復帰した先輩の賤ヶ岳八重さんたちがいます。この2人には「男性に負けないように働く」とか「女性初の役員になるんだ」と必死に頑張っていますが、そこには「男性と伍して戦わなくてはならない」、或いは「女性らしさを捨てて男らしくやることで立場を勝ち取る」というような意識を感じます。本来、女性には女性の良さがあるんだから、それを生かして頑張れば良いんですけどね。
朱野 なるほど。
佐々木 と言うのも、政府は「働き方改革」の具体的な指針の一つに「女性の活躍推進」というのがあります。女性管理職を増やすことも眼目の一つですが、これは女性が活躍する社会は男性にとってもより良い社会なんだから、それを早く実現させようという考え方です。私は以前、ある審議会で「女性の比率を上げるために女性の採用数を増やしなさい。採用の際にはゲタを履かせなさい」とか、「同じ能力なら女性を採ればいい。男性よりちょっとくらい劣っていても女性を採用した方が良い」という趣旨の発言をしたことがあります。現状では女性にゲタを履かせない限り、職場の女性比率は絶対に上がらないからですが、それをダメだと言う人は割と女性に多い。私の意見に最も強く反対したのも女性の大学教授でした。「女性だからといってゲタを履かせるのは不平等で逆差別です」ってね。ですから、やっぱり女性の敵は女性かな、と思うことはあります。
朱野 う~ん、分かる気がしますね(笑)。
佐々木 他方で、上を目指して頑張っていた女性が途中であっさり退職してしまうケースも少なくありません。「結婚して子どもも産まれました。仕事はもう良いです」という具合です。とくに地方自治体に行くと、「女性が昇進試験を受けたがらないんです」なんてしょっちゅう聞かされます。
朱野 どうしてでしょうか。
佐々木 管理職になると仕事の設計や管理は自分できますし、その作業は部下がやるので自分は楽になるんです。ところが実際には、「偉くなると責任が重くなっちゃう」という誤解が根強いので、「そんな働き方はしたくない」となっちゃう。誤解の理由はこれまでお話してきた通り、男性管理職の愚かな働き方にあるんです。
朱野 結衣も当初は「自分さえ定時で帰ることができればいい」「そのために、なるべく責任を負わないようにする」という考えでした。それが就職して10年が経ち、年齢も30歳を越えてくると、出世するかどうかという分かれ道に差しかかります。その時、初めて「これまでの働き方を続けるには出世するしかない」と気づくわけで、まさに佐々木さんがおっしゃる通りですね。人の上に立たないと、職場を変えることはできません。この作品はフィクションとして書いたつもりだったんですが、改めて「現実もそうなんだ!」と思いました。
佐々木 結衣ちゃんの最初のフィアンセも、彼女から色々言われながら、なかなか自分を変えられません。人間の意識を変えるのは本当に難しいことなんですよ。
朱野 はい。
佐々木 話は少し戻りますが、東レ時代に部下から「家に帰ってもやることがない」と反発された時、私は「いまはそうかもしれない。だけど、あなたはやることを探していないね」と諭したことがあります。繰り返しになりますが、定時で帰っても、結果さえ出していれば会社は仕事ぶりを評価してくれます。「働き方」は「生き方」です。「人生をどう生きるか」ということが前提としてあって、そこから「どう働くか」という意識が生まれてくる。だからこそ、「自分はどう生きるか」という確固たる意識、哲学を持つことが大切なんですね。それさえ持っていれば、他人の「働き方」を尊重したり、理解することができるんです。これは決して難しいことではありません。私の部下だった人たちも、当初は定時での退社に半数以上が反対していましたが、最後にはほとんどが賛成してくれるようになったんですから。(つづく)
朱野帰子(あけの・かえるこ)
東京都生まれ。2009年、『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。2013年、『駅物語』がヒット。2015年、『海に降る』が連続ドラマ化される。生き生きとした人物造形と、緻密でありながらダイナミックなストーリー展開で注目を集める気鋭の作家。
佐々木常夫(ささき・つねお)
1969年東大経済学部卒業、同年東レ入社。自閉症の長男を含め3人の子どもを持つ。しばしば問題を起こす長男の世話、加えて肝臓病とうつ病を患った妻を抱え多難な家庭生活。一方、会社では大阪・東京と6度の転勤、破綻会社の再建やさまざまな事業改革など多忙を極め、そうした仕事にも全力で取り組む。2001年、東レ同期トップで取締役となり、2003年より東レ経営研究所社長となる。2010年(株)佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表。何度かの事業改革の実行や3代の社長に仕えた経験から独特の経営観をもち、現在経営者育成のプログラムの講師などを勤める。社外業務としては内閣府の男女共同参画会議議員、大阪大学客員教授 などの公職を歴任。【オフィシャルWEBサイト】
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