「スマブラではピカチュウ使い」 ゲーム実況者へ転身の平岩康佑アナが語るゲーム愛

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生涯ベスト3タイトルは…

「小学3年生の時に初代の『ポケットモンスター』が発売された世代ですが、ゲームは買ってもらえなかった。だから友だちがやっているのを眺めたり、ゲームの絵を描いて気持ちを紛らわせたり……。ようやく“家ではダメだけど、おばあちゃん家なら”と許しが出たのは、小学4年生のとき。近所に住んでいる祖母の家に、2つ歳下の弟と足繁く通って、朝から晩までプレイしていましたね。このときはスーパーファミコンを買ってもらって、『ドンキーコング』とか『ボンバーマン』とか『ドラゴンクエスト』とか。もちろん、のちのち64も買ってもらって、『大乱闘スマッシュブラザーズ』も。小学生の頃はまだ、周りのみんながやっているゲームをやっていましたね」

 中学に上がってようやく自宅でのゲームが解禁されるも、先述したような「みんながやっている」のではないタイプのゲームにハマった平岩氏。周囲は「プレイステーション2」が主流の中、洋ゲーが多めの「Xbox」を選んだ平岩氏は、たまに友人を招いた際に“なんでプレステ持っていないんだよ”“コントローラーの操作が違うんだよなあ”といわれる憂き目にもあった。(後にプレステも購入)

 当時のゲーム方針は“FPS(ファーストパーソン・シューティング)はとりあえず買ってプレイする”。日本では「キーボードクラッシャー」の動画でお馴染みとなった「Unreal TOURNAMENT(アンリアルトーナメント)」もプレイした。生涯のベスト3タイトルを尋ねると、“弟と狂ったようにやった”という近未来FPSの「HALO(ヘイロー)」、そして先の「RAINBOW SIX」「スマブラ」を挙げる。

「『HALO』に関しては、大学時代に1年間留学していた時に向こうの友だちとプレイした思い出があります。“大学生にもなってゲームは恥ずかしい”という風潮は日本にはあると思いますが、向うはそんなことなくて、強いと尊敬されるんです。『スマブラ』は“ゲームは一人でやるもの”という概念から外してくれました。64ってコントローラーが4つあるじゃないですか。いまでもオンラインで友だちとゲームやりますが、“みんなでやる”という体験の原点だったかもしれませんね。いちばん使ってたのはピカチュウですね」

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