「半分、青い。」ドラマ後半のカギを握るのは有田哲平ではなく、この男!
NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」の新たな出演者としてお笑いコンビ・くりぃむしちゅーの有田哲平が発表され、話題になっている。朝ドラ初出演でありながら、主人公の楡野鈴愛(にれのすずめ)に大きな影響を与えるドラマ終盤のキーパーソンを演じるという。
しかし今回、有田以上に注目すべきは、同時に発表された「劇中製品開発部分原案」の寺尾玄の存在だろう。寺尾は、自然界の心地よい風を再現する扇風機「ザ・グリーンファン」や、科学的アプローチでおいしさを追求した「ザ・トースター」など、革新的な製品で家電業界を席巻する家電メーカー、バルミューダの創業者。ドラマはこれからモノづくり編へと突入し、鈴愛が「おひとりさまメーカー」として製品開発をするようだ。そうだとすると、この寺尾こそがドラマのカギを握っているはずだ。
鈴愛と重なる寺尾玄の生き様
では、寺尾玄とは一体どんな人物なのだろうか。唯一の著書である、『行こう、どこにもなかった方法で』を紐解くと、これがなんとも破天荒な経営者なのだ。
寺尾は1973年に茨城県で生まれる。酪農大学で出会ったというユニークな両親のもとで、自然に触れながら自由に育った。転機は高校時代。将来を縛られるであろう進路希望を「書きたくなかった」という理由で高校を中退し、ヨーロッパを単身放浪する。そこでブルース・スプリングスティーンの音楽に出会い、ロックスターを夢見るようになる。帰国後すぐにプロ契約し、9年間活動する。しかし、ロックスターになるという夢は結局かなわなかった。どんなに努力してもかなうことのない夢。これは漫画家への夢を諦めざるを得なかった鈴愛とも通じるものがある。
寺尾は挫折を経験するがクリエイティブへの情熱を失うことはなかった。オランダのデザイン雑誌を見て、モノづくりで生きていくことを突然決意し、モノづくりの現場を見るために、電話帳を調べては電話を掛け、町工場を片っ端から自転車で回る。ほとんどの町工場で門前払いをされながらも、ひとりの恩人と出会い、少しずつモノづくりの知識を身につけていく。そして2003年、モノづくりの素人だった寺尾が、たったひとりでバルミューダを創業する。その後、リーマンショック後の不況で倒産寸前に追い込まれるが、「ザ・グリーンファン」の大ヒットにより一発逆転、家電業界の風雲児として大注目されるにいたった。
スタイリッシュなバルミューダ製品からは想像できないエピソードばかりだが、本の中で描かれる寺尾の人生は、ここには書き切れないくらいドラマティックで、濃密だ。
現在、漫画家の夢やぶれた鈴愛は、100円ショップでアルバイトをしている。鈴愛のクリエイティブへの情熱に再び火が付くのはいつなのか。そのきっかけは何なのか。そして鈴愛は一体どんな製品を生みだすのか。ドラマの今後を占うヒントは、寺尾が歩んだ人生の中にあるかもしれない。