“ハルマゲドンを予言”――「オウム幹部」が南の島に上陸、写真が映し出すもの

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 1990年2月の衆院選に「真理党」から出馬した、麻原彰晃を含む25人がそろって落選すると、オウム真理教は社会秩序の破壊を目指し、「ポア(殺人)」も肯定する路線へと舵を切った。

 それからほどなく、オウム一行じつに1270人が沖縄県は石垣島の地を踏んだ。4月のことだ。写真はそのときの1枚。白い上下に身を包んだ松本知子(現在は改名)教祖夫人の周囲に幹部たちの姿が見える。

 井上、端本、早川はいずれものちの死刑囚。平田は現在、受刑中の身だ。

 彼らが何をしに来たのかといえば「予言の儀式」のためだった。麻原は、取材にあたった記者に言ってのけた。

「前年にアマチュア天文家によってオースチン彗星が発見されたが、これは大変化の予兆、いや、何らかの凶兆だ。それを信者に告げるのだ」

 無論、インチキ以外の何ものでもない。実際、後で判明するのだが、オウムはボツリヌス菌の開発に着手しており、石垣島での儀式にあわせて霞が関や横須賀の米海軍基地周辺で噴霧した。けれど肝心の菌が培養されておらず、「教祖の予言が的中する」筋書きは水泡に帰した。

 ここで、ダークカラーのサファリジャケットを着た早川の両手を見てほしい。彼がはめた黒の手袋にこそ、劇画的妄想と狂気が表裏一体をなすオウムの恐ろしさがはっきり現れているからだ。

 オウムは信者に全財産の寄付や絶対的帰依を求めるなどしたため、87年の発足当初からトラブルが絶えず、信者の親が「被害者の会」を結成。これを支援していた坂本堤弁護士を、オウムは89年、妻や赤ん坊もろとも殺害した。

 実行犯の1人である早川は襲撃の際に素手だった。そこで、熱したフライパンに指をあて、指紋を焼いたのだ。

 こうすれば、現場に残した指紋と自らの指紋が一致するおそれはない。ただ、焼いた指先に痛みが残り、素手ではとてもモノが触れず、手袋が外せなくなっていた――。

 この1枚の写真には、やがて世を震撼させるオウムの歪んだ精神性の、すべてが縮図のごとく映し出されているのである。

週刊新潮 2018年7月19日号掲載

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