【本邦初公開】81年ぶりに発見! 原節子の「振袖」と「16歳の写真帖」

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 日独合作映画「新しき土」公開に合わせドイツを訪れた原節子。その時に着ていた着物が日本に戻ってきた。現地の通訳が譲り受けたものという。そしてさらにはその通訳が秘蔵していた写真も出てきた。ともに本邦初公開である。(以下、「新潮45」2018年8月号より転載)

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 1937年3月10日、原節子は東京駅を出発し、鉄道と船を乗り継いでドイツのベルリンへと向かった。日独合作映画「新しき土」(ドイツ版のタイトルは「侍の娘」)の公開に合わせて、彼の地から招待されたのだった。同行者は映画製作に関わった東和商事の川喜多長政、かしこ夫妻と義兄で映画監督の熊谷久虎。

 一行がベルリンに到着したのは3月26日。そこで原節子の通訳を務めたのが、ドロテア・ヘードヴィク・ハル・ペルツ嬢だった。実は彼女は東京生まれで、ハル(春?)は日本語である。詳しくは「新潮45」2018年8月号掲載の石井妙子氏の記事「『セッチャンのキモノ』物語」に譲るが、彼女の祖父は日本の近代化に多大な貢献をした人物だった。

 ペルツ嬢は、ライプツィヒ、ハンブルク、ミュンヘン、ケルン、バーデン=バーデンなど、30カ所以上あった訪問先すべてに付き添い、通訳を務めた。そして、原節子がドイツを後にしてパリに向かう際、振袖を譲り受けたのだった。

 ペルツ嬢はさらにドイツで撮られた原節子の写真を大量に保存していた。そこには誰も見たことのない16歳の可憐な原節子の姿が映し出されている。

新潮45 2018年8月号掲載

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