「災害に対する知見を一元化しスキルアップすべき」石破茂氏が「防災省」構想を掲げるワケ

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防災省の必要性は

「ポスト安倍」として常に名が挙がる石破茂衆議院議員が、8日、自身の国政報告会で災害対策を扱う「防災省」の設立の必要性を説き、これを9月の総裁選の政策としても掲げる考えを示したという。

 前日までの豪雨による被害を念頭にあったのは間違いないが、実はこの「防災省」構想は、石破氏が以前から唱えていたものでもある。新著『政策至上主義』には、専門とする安全保障問題と関連させながら、防災省の必要性を解説した部分があるので、以下、同書から引用してみよう。

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Jアラートを向上させる

 2017年9月15日、政府は午前7時に全国瞬時警報システム(Jアラート)を通じて北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、新潟、長野の12道県に警報を伝えました。Jアラートは、北朝鮮からミサイルが発射された際に政府が出す警報です。

 この一件でも、「(政府の)説明が足りない」と感じることがありました。

 それぞれの地方では「北朝鮮からミサイルが発射された模様です。建物の仲、又は地下に避難して下さい」というアナウンスが流れたとのことですが、この時点ではすでに着弾地点は把握できているはずです。

 危険がある場合は、そのあとに「直ちに避難。直ちに避難。直ちに頑丈な建物や地下に避難して下さい。ミサイルが落下する可能性があります。直ちに避難して下さい」というのが流れるとのことなのですが、せっかく警報を発するのであれば、最初の警報で国民にどのような状況であるかも可能な限り正確に伝えなければ、避難すべきか否かの判断がつきません。

 毎回「避難してください」と言われるのに、特段の危険はなかった、というようなことを繰り返していると、やがて国民の政府に対する信頼が失われることになるのではないか。そのような危惧を覚えました。

 現に、これについて批判的な声が聞かれました。

「北朝鮮の脅威を必要以上に強調して、国民の不安を煽っている」

「いったいどうすればいいというのか。警報だけ出すのは無責任だ」

 私は、Jアラートは必要ですし、とても重要だと思っていますが、一方で反発する側の気持ちもわかるような気がしました。

 たしかに政府は「なるべく室内に」「なるべく丈夫な建物や地下に」といった最低限のアドバイスはしています。しかし、あえて厳しい言い方をすれば、政府はどこまで本気でこのJアラートの存在意義を考えてきたのでしょうか。

 実は自民党本部でも、国会議員会館でも、ミサイルに備えた避難訓練はしたことがありません。それで国民に「避難してください」というのは、いかにも説得力がない話です。そうした姿勢は国民には見透かされるでしょう。

 真剣に考えなくてはいけないのは「いったいどうすればいいというのか」という不安に対する答えを用意することではないでしょうか。日本における核シェルター(避難所)の普及率は0.02%と言われています。スイス、イスラエルでは100%、ノルウェーでは98%で、アジアを見ても、シンガポールで54%、韓国でもソウルあたりは100%以上とされています。いかに日本が突出して低いかということです。

 今さら言うまでもありませんが、現在、世界で最もミサイルの脅威にさらされている国の一つが日本です。それなのにこのような状況でいいとは、とても思えません。

防災省の必要性

 このような確実性の高い避難体制などを、防衛の観点からは「拒否的抑止力」といいます。「ミサイルに対してはミサイル」という体制によって、相手に攻撃を思いとどまらせることを「懲罰的抑止力」といいますが、これに対して「攻撃しても意図したような被害は出ない」という体制をつくることで相手に攻撃を思いとどまらせるというものです。

 実は、このような拒否的抑止力を構築するための方策と、防災の対策というのはかなりの部分が重なっています。

 我が国は有数の災害国であり、長きにわたって各種の天災に対応してきました。こうした知見を一カ所に集中させ、インフラ整備、防災機材から避難などの訓練のノウハウ、過去の教訓に至るまで、一元化してスキルアップすべきではないか。

 そのために「防災省」(仮称)を作り、我が国のみならず災害の多発しているアジア地域、ひいては世界中にそのノウハウやインフラを輸出し、災害国であることを強みに変えていきたい、と考えています。

そういう省が、たとえばシェルターの設置についても自治体と相談しながら進めていく。もし公民館などにシェルターがあれば、「どうすればいいのか」とはならないはずです。

 地方創生担当大臣を務めていたときに、この「防災省」的な組織が日本では必要ではないか、との問題提起をさせていただいたこともありました。

内閣府内に防災担当の部局が設けられていることもあり、前向きな結論を導けませんでしたが、事の重大さを考えると、私には現状で事足れりとは思えません。

 神戸市なども努力しておられますが、専門家の育成、防災の文化の継承、的確かつ効果的な避難訓練の実施などを考えれば、専任大臣を置いた独立した省庁が必要ではないでしょうか。

 首都直下型地震や南海トラフ巨大地震も確実視される中にあって、もう一度広範な議論が必要に思えてなりません。

 また、軍事に関する科学技術の開発に対しては強い反発があるわが国ですが、防災技術の開発であれば、多くの支持が得られるでしょう。この分野に国家として力を入れて技術開発を促すことは、結果として新しい産業の振興にもなりますし、我が国の経験値の高さを踏まえれば、防災分野の世界最先端のイノベーションを主導して国富を創造するセンターとすることも、世界トップクラスの防災の「知の拠点」とすることも可能です。

 本来、このようなテーマ設定であれば、与野党関係なく国民的議論が進められるはずです。

しかし、こうした問題についても、あまり本質的な議論はなされていません。野党やメディアの多くは、「今回の警報は正しかったかどうか」といった論点のみで政府を攻め、政府は「正当なものでした。今後とも、国民の皆様には警報に十分お気を付け頂きたいと思います」といった程度の注意喚起をして終わる。

 これでは「いかにしてミサイルから国民と国土を守るか」という本質的な議論を先延ばしにしているように思われても仕方ありません。

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 安全保障にせよ防災にせよ、国民が求めているのはメディアの揚げ足取りでも、与野党の不毛な対立でもない。「防災省」に限らず、本気で国民の命を守るための議論こそが求められているのだ。

デイリー新潮編集部

2018年7月19日掲載

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