オウム「死刑確定囚13人」 4万4400日の獄中記録

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修行に最適な環境

 贖罪のために生き永らえようと足掻いた者もいれば、麻原信仰を続ける者もいる。坂本堤弁護士一家殺害事件では長男・龍彦ちゃんを絶命させ、松本サリン事件では実行犯。地下鉄サリン事件でも、サリン散布者を送迎する運転手役を務めた――。教団が起こした「三大事件」のほか、教団による7件すべての殺人事件に関与し、麻原に次ぐ26人を殺(あや)めた新実智光。

 教団内では、麻原の秘書役を務めただけでなく、軍事訓練やスパイ任務にも携わり、教祖への忠誠心が人一倍強い人物と言われていた。囚われの身になっても尚その信仰心を維持していたようだ。

「拘置所では、一日中修行に費やしていました」

 と語るのは、新実の知人。

「彼は、自由を奪われ、いつ執行されるかわからない死刑囚の状態が、修行に最適な環境にあると考えていたようです。実際、ヨガの瞑想やチベット体操などを欠かさず行い、“站椿功(たんとうこう)”という気功の呼吸法を1日2時間以上行っていました」

 一昨年に発売され、大ヒットした『どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法』も熟読。食事にも気を使い、摂取量を減らしてもいた。その一方で、

「死刑制度には反対していましたが、彼は自らの死を受け入れていたようです。死後は、ガンジス川への散骨を希望していました」

 麻原を尊師と呼び、帰依し続けていたという。

 逮捕後の公判では、当初、尊師と呼んでいたが、途中から「麻原氏」へと呼び方を変えた中川智正。医師であったにも拘らず、入信後に麻原の主治医となると、側近の一人として先の「三大事件」のほか8件に関わり、25名を殺害した。

 その中川と死刑確定後に面会を重ねてきた米コロラド州立大学のアンソニー・トゥー名誉教授は、毒物学の権威ゆえに、サリン製造に関わった中川との面会を特別に許された人物。11年から14回に亘って面会したほか、手紙でのやり取りも数多く行ってきた。そのトゥー氏は、

「彼とは、いつも化学兵器に関する話をしていました。昨年会った時は、北朝鮮の金正男がVXで殺害された件についてばかり話し、彼なりの見解を手紙で送ってきたこともあります」

 今年2月、中川が接触を求めてきたという。

「向こうからの連絡は初めてだったので、何か違うなと思いましたが、実際に会うと、近々、移送される可能性があると言うのです。その時、坂本弁護士事件のことに話が及んだ中で、彼は“最初から麻原が殺すつもりだったのだろう”と口にしました。私との会話では、これまで“麻原氏”と呼んでいたのですが」

 トゥー氏は、以前、中川に“麻原氏”と呼ぶようになった理由を聞いたことがあった。その時は「急に呼び捨てにするのは心が落ち着かないから」と答えたという。

「だから、私の聞き間違えかと思ったのですが、名前が出たのは一度きり。真相はわかりません」

 迫りくる死を実感したことで、ようやく麻原の呪縛から解放されたのかもしれないが、もはやその訳は知る由もない――。残るオウム死刑囚は6名。その獄中生活に終わりを告げる日は、着々と近づいている。

週刊新潮 2018年7月19日号掲載

特集「奈落に落ちた『麻原彰晃』 『劇画宗教』30年の総括」より

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