中国で拘束、実刑が下された「2人の日本人スパイ」 その素性と目的

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 今月10日と14日、中国にて日本人男性2人に有罪判決が下された。罪状はずばり“スパイ罪”である。

 10日に判決を受けたのは54歳の愛知県の男性で、懲役12年。もう一人は57歳の神奈川県の男性で、こちらは懲役5年。共に2015年より中国当局に拘束されていた。

 いずれも公安調査庁の協力者と見られるが、なぜ彼らは中国で怪しい行動を繰り返したのか。週刊新潮は当時、2人の素性について以下のように報じている。(以下、データは15年10月15日号掲載のもの)

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 スパイ扱いされている2人は、日本在住の50代男性である。もっとも、彼らの人生を辿ると、所々で中国と交叉しているものの、本格的なスパイとしての殺気は全く感じられない。まず、中国東北部の遼寧省丹東市で拘束されたのは、神奈川県在住の脱北者である。脱北者支援団体の幹部が言う。

「父親が在日朝鮮人、母親は日本人。3歳の頃、両親と共に北朝鮮に渡った。向こうで在日の子は差別され、苦労する人が少なくない。でも、彼の父親は金日成主席の記念事業の工事の仕事をしていた際、事故死した。それが“殉職”扱いされ、残された家族は一定の生活を保障された。彼自身は、軍の宣伝部隊の隊長として、音楽隊でトランペットを吹いていた」

 軍人としては将校の階級だったというから、少なくとも食うに困るという生活ではなかったはずである。

「ところが、90年代後半に200万~300万人の餓死者が出た。彼は、多くの人が亡くなっていくのを目の当りにし、北で生活することが耐えられなくなったそうです」(同)

 母親、妻、息子、弟と計5人で脱北したのは90年代末。ラオス、韓国などを経て、01年6月に日本に入国し、その後、日本国籍を取得したという。

「本人の性格は、明るく真面目。お酒は、ウイスキーが好きでしたね。当初は日本語も分からず苦労した。しかし、息子と一緒に3年間みっちり勉強し、みるみるうちに上達した。自宅近くのパチンコ屋で景品交換の仕事をしていましたが、この1~2年は知人の中国人実業家の仕事を手伝っているとかで、中国に長期滞在することが多かった」(知人)

 では、なぜ、中朝国境の街でスパイ容疑をかけられたのか。

「北朝鮮国内に親族がいるため、元々は彼らに連絡を取ったり、送金したりするために行っていた。彼は、よく“日本人は、北の本当の姿を知らな過ぎる”と話していた。元将校でプライドも高く、人の役に立ちたいという気持ちもあったようです。それで、現地で見聞きしたことをマスコミや公安関係者に教えるようになったのです」(先の支援団体幹部)

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