「情報オリンピック」経験者たちが語る“僕らがプログラミングを始めたワケ”

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関数電卓にLEGO

 28歳で最高技術責任者を務める奥田遼介さんは、公立中→一関高専→東北大学大学院情報科学研究科の修士を卒(お)えての入社4年目。

 入社3年目の松元叡一さん(27)は、筑波大附属駒場中高→東大理学部物理学科→東大院総合文化研究科の修士卒で、片岡俊基さん(28)は、三重県の私立高田中高→東大理学部数学科→東大院情報理工学系研究科の修士卒で入社1年半だ。

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奥田 情報オリンピックには、僕以外の2人は2回出てる?

松元 僕は3回参加して、初年度は日本情報オリンピックの本選で落ちたんです。1回目は確か中学3年の時でした。世界大会まで行けたのは、クロアチア(07年)とエジプト(08年)でした。

片岡 僕はメキシコ(06年)とクロアチア大会です。

奥田 私はクロアチアのみですね。3人ともクロアチアには出ているので、その時から顔見知りではありました。高専では電子計算機部、いわゆるパソコン部にいました。その活動の中で情報オリンピックのことを聞き、参加しようと思ったんです。

片岡 いつからプログラミングを始めたか? 結構難しいんですけど、小学生の頃に関数電卓を買ってもらって、そこにプログラミング機能が入っていたので、それが最初でしょうか。関数電卓を買ってもらったのは、うーん、父親がそういうのを良いと考えたということだと思うんですけど、なぜだったんだろう(笑)。その段階で高校数学までは勉強していました。小学4年生か5年生だったと思います。私は三重県松阪市出身で、田舎なので塾とかもなく、辛うじて公文式があるぐらいで。その公文にも行かず、父に家で指導を受ける形で勉強していましたね。父がどこからか中学・高校の教科書を手に入れてきて……という感じだったと思います。

松元 プログラミングらしきもの、ということであれば小学生の時だと思います。確か「RPGツクール」でゲームを作ったりしていましたね。これは、「(ロールプレイング)ゲームを作れるゲーム」みたいなソフトです。プログラミングを始めるにあたって、入口がゲームって言う人は結構多いと思います。また、「LEGOマインドストーム」と言って、ロボットのプログラミングができるレゴがあるんですね。それで遊んでいた記憶があります。ただ、本格的に始めたのは情報オリンピックへの参加がきっかけですね。

奥田 筆算やりまくるのとか面倒くさい、そういう気持ちがプログラミングに繋がって行ったというのはありますね。高校とか大学で線形代数、行列ってあるじゃないですか。これは、ある意味でコンピューター用の学問なんですよ。計算を繰り返しコンピューターでやらせる時、行列はルールがしっかりしているので、やり易い。でも人間にやらせるのは非人道的だとずっと思い続けてました。なんでこんなに面倒くさいことをやらなきゃいけないんだと(笑)。

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