「田植えは5年持つ」の流儀(古市憲寿)

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 洗脳の基本は、繰り返し会うことだという。

 確かにほとんどの人間は、無根拠に身近な人を信じてしまいがちだ。何もかもを「エビデンス」によって意思決定できる賢い人は決して多くない。

 政治家や宗教団体は、このシンプルな原理をよく理解している。日本の政治家は過剰と思えるほど、夏祭りやカラオケ大会などの地域イベントに出席する。地方議員ならまだしも、国会議員が夏祭りから学べるものは多くないと思うが、繰り返し「会う」ことが当選につながるのをよく知っているのだろう。

 ある政治家から「田植えは5年持つ」と聞いたことがある。「田植え」という共通体験をした後は、その後5年間は何もしなくても、自分に票を入れてくれるのだそうだ(まさに票田)。

 田植えは極端でも、多くの政治家は握手という身体接触を実践している。竹中平蔵という合理主義者が選挙の時、たくさんの人と握手をしたのが象徴的だ。

 握手の習慣は、ミトラ教という古代ローマで栄えた宗教の信者によって広まったとする説がある(ラッセル『失われた宗教を生きる人々』)。もともとは自分と相手の間に聖なる土の塊を挟んで握り合う宗教儀式だったが、広く挨拶の習慣として受け入れられたらしい。古代ギリシアや中国が起源という説もあるが、握手が普遍性を持つ習慣であることは間違いない。

 トランプ大統領と金正恩から、AKBのメンバーとCDを買ったファンまで。世界中で握手は親密さを演出する手段となった。握手はちょうどいいのだろう。身体接触には違いないが、過剰でもない。

 面会や握手を繰り返した人を、疑ったり批判するのは難しい。友達づきあいでは問題ないのだろうが、これが政治家や言論人だと話が変わってくる。

 安倍首相はお笑い芸人から作家、国際政治学者、社会学者まで様々な人と会食をすることで知られている。純粋な意見交換の側面もあるはずだが、「一度会った人のことは、なかなか悪く言えない」という人間の習性も結果的に利用されているのだろう。

 かつて鋭い批評を量産していた書評家の斎藤美奈子は、批判をしにくくなるからあまり社交の場に顔を出さないようにしていたと聞いたことがある(最近は政権批判ばかりでつまらない文章が増えた。って、こんなこと書けるのも、きっと僕が斎藤さんと会ってないからだろう)。

 それはそれで潔い態度だと思うが、「会わない」ことが本当に客観性につながるのか、疑問もある。「会って感じが良かった」といった、人柄に対する直感を排除すべきではないと思う。なぜならこの社会は、無数の人同士が、無数の回数「会う」行為の集積で成立しているからだ。

 だから甘んじて洗脳を受け入れる時もある。知人から聞いたダイエット法を真に受けて、毎日ヨーグルトを欠かさず飲んでいるのだが、今のところ痩せる気配はない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年7月12日号掲載

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