オウム事件の原点 信者は32年前に出版された“あの本”にみんな騙された

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バブルとネクラ

 戦後、焼け野原となった日本は、1950年からの朝鮮戦争特需により経済が復活。地方から“金の卵”と呼ばれた集団就職による安い労働力もあり、54年以降のおよそ20年は「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と高度経済成長が続いた。しかし、73年の第1次オイルショックを期に戦後初のマイナス成長となり、高度経済成長に幕が降ろされる。その後は安定成長となっていたが、86年に株や不動産を中心にした過剰な高騰が広がっていったのである。

“バブル芸”の平野ノラ(39)ではないが、ディスコが流行り、ボディコン姿の女性が街を闊歩した。キング・オブ・“ハイソ”カーと呼ばれた2代目トヨタ・ソアラやスープラが売り出されたのもこの年である。週休2日が一般化し、休み前は“花金(花の金曜日)”と呼ばれて経費は使い放題。タクシー待ちの客が大行列で帰れないから、また飲もうという、無闇やたらに景気のいい時代である。山手線内の土地価格でアメリカ全土が買えると言われ、都市では地上げも横行した。

「新人類」と呼ばれた大卒の求人は売り手市場となり、バブル最後の91年には2.86倍を記録し、誰もがそこそこの会社へ就職できた。「東京いい店やれる店」(ホイチョイ・プロダクションズ)といった紹介本が売れ、C調、ネアカといった軽さが持て囃される一方で、おとなしくて、無口で、真面目なタイプはネクラと蔑まされる風潮もあった。少し前までは「男は黙って……」が日本男子の美徳だったにもかかわらず、この時代に乗り切れなかった人々は蔑まれた。

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