「オウム麻原」死刑執行 事件で注目された女性信者たちの“その後”
死刑が執行されたオウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)の周囲には、かつて多くの女性信者がいた。週刊新潮では、一連の「オウム裁判」が集結した2011年に「醒めない夢の中に棲む『オウム』の女たち」と題する以下の特集記事を掲載し、その“今”に迫っている。麻原が処刑された今、彼女たちは何を思うのか。(※データは11年12月8日号掲載のもの)
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「被害者に対する感情というのは本当に難しいです。被害者の方々やそのご家族が苦しんでいる限り、私も苦しい。でも、皆さんに対して私は何もすることができないでいます。それもまた苦しい。オウムにいた人間として、何かをできればとは思います。しかし、私には今はまだそれができる強さがありません」
と現在の心境を語るのは、村岡達子(61)である。
彼女はオウム真理教の代表代行、アレフ(オウムが改称。一時はアーレフとも)の会長を務めた元大幹部だ。今年6月、アレフに退会届を出し、今は関西地方で暮らしている。
11月21日、元幹部、遠藤誠一(51)の上告を最高裁が棄却、死刑が確定した。これで、一連の「オウム裁判」は終結。麻原を含め、13名の死刑が確定したのである。世間を震憾させたオウム事件は一つの区切りを迎えた。
まずは、村岡が自身の近況を続ける。
「退会してほぼ半年が経ちました。今は翻訳や英作文の添削など、得意な英語を使って糧を得ています。収入は月4万~5万円程。オウムでの質素な生活に慣れているので食費を切り詰めることはできますし、贅沢ができなくても、それが特に苦しいとは感じません」
最近は電子ピアノを弾いたり、「韓流ドラマ」を観たりしているという。
「中でも歴史物が好きで、『ホジュン 宮廷医官への道』『宮廷女官チャングムの誓い』『イ・サン』といった作品を観終えたところ。これらのドラマを観て、私は王様が好きだと思った。私にとっては尊師(麻原)も王様のような存在でした。全身全霊で奉仕するのが私の生きがいなんだ、ということが改めて分かりました」(同)
村岡は88年6月、38歳の時にオウムへ入信した。
「それまでの私は社会に不適合な人間だと思って生きてきました。父親に対する強い反発もあった。そんな私に尊師は羽を与えてくれたと思っています。当時のオウムは世間から隔離され、閉じられた世界で、信者になった子どもとそれを取り返そうとする親の問題は抱えていたけれど、私にとっては理想的な精神環境でした」(同)
ただ、教団内では、信者同士が友人として向き合うことはなかった。
「上を向いてヒエラルキーの中で役割を果しているだけで、人間的な情で繋がっているわけではない。情も煩悩ですから。その点は、一般的な組織とはかなり感覚的に違います。ですから、退会した後、立場によって違いますが、とりわけ元幹部同士が付き合うことはほぼありません」(同)
女性信者についてはこう言う。
「オウムでは男女差別がありませんでした。オウムの女たちに世間の注目が集まったのは、そういう自由な雰囲気が伝わったからかもしれません。石井(久子)さん、都沢(和子)さん、飯田(エリ子)さんたちは、みな女神のように美しかった。それは化粧によるものではなく、修行の賜物だったと思います」(同)
“金庫はどこ?”
石井久子(51)は、麻原の一番弟子であり、「正大師」と呼ばれる教祖に次ぐ地位に就いた。実務面では大蔵大臣を務め、教団のナンバー2として君臨した。また、麻原の愛人でもあり、教祖との間に3人の子を産んでいる。
95年9月、地下鉄サリン事件の犯人隠匿容疑で逮捕され、懲役3年8カ月の判決を受けた。刑期を終えたのは、00年11月のことだ。
公安関係者によれば、
「現在は、訪問介護の仕事をしながら、マンションで父親と2人暮らし。麻原の子とは一緒には住んでいません。07年、元幹部の上祐史浩らがアレフから独立して『ひかりの輪』を立ち上げた際、一緒に来ないかと声を掛けられたがアッサリ断った」
が、平穏無事な生活を送っているかといえば、そうではない。かつてオウムに籍を置き、現在「ひかりの輪」でウェブ編集部長を務める宗形真紀子(オウムの実態を書いた『二十歳からの20年間』の著者)の証言。
「石井さんが出所した後、02年頃のことです。彼女は突如、南烏山のアレフの本部に現われて、『マイトレーヤ(上祐のホーリーネーム)はどこ、金庫はどこ?』など訳のわからないことを叫びながらマンション中の部屋を覗き回った。あまりの狂乱にみんな唖然として見ていた。警察が来て彼女を連れて行きました。一時、精神を病んでしまったようです」
逮捕前、石井は信者の「憧れの的」だったが、
「石井さんは厳しい人だと思っていましたが、今思えば、本当は大人しい人なのでしょう。麻原から解脱者として厳しく振舞うよう命じられていたのだと思う。一番弟子の石井さんがおかしくなったのを見て、私も目覚めた部分があります」(同)
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