取り壊される名匠「村野藤吾」建築 創業1615年「丸栄」閉店で

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 丹下健三とともに戦後の建築界をリードした“名匠”村野藤吾(1984年死去)。迎賓館赤坂離宮や日生劇場、広島県の世界平和記念聖堂など数多の設計を手掛けているが、今、彼の傑作と評される建物が取り壊されようとしている。

 それは愛知県名古屋市の繁華街・栄にある百貨店「丸栄」の本館だ。地元記者によれば、

「丸栄の前身である呉服屋の創業は1615年。三越、松坂屋、名鉄と並び“4M”と呼ばれる老舗人気百貨店ですが、2000年に名古屋駅併設のJRセントラルタワーズが開業して以降、人の流れが栄から名古屋駅周辺に変わり、客足が激減。ついに、丸栄は6月30日に閉店し、それに伴い建物も取り壊されます」

 村野が設計した地上8階地下2階建ての本館は、1953年に完成。ガラスとタイルを組み合わせた外観が当時は斬新で、翌年、日本建築学会賞作品賞を受賞している。また、本館エレベーターの扉に描かれている“果物籠を持つ二人の女性”は、日本を代表する洋画家・東郷青児の作品だ。

 昨年12月26日、日本建築学会は“戦前期の建物を基に増改築を重ねた全国でも珍しい建物で、日本建築の持続的発展を考える上で極めて貴重な事例”と、建物の保存を求める要望書を丸栄に提出していたが、

「実は、丸栄は8年前に医薬品メーカーの子会社になったのです。親会社の興和が丸栄跡地を再開発して、すでに“衣食住”の複合商業施設を建設すると発表しているので、歴史的価値のある建物とはいえ保存は難しいでしょう」(先の記者)

 一方、東郷が描いたエレベーターの扉絵の移築を求める声も少なくない。丸栄の総務部に聞くと、

「今秋から建物の取り壊し工事が始まる予定です。エレベーターの扉絵も移築は難しいので、取り壊すことになると思います」

 400年以上の歴史を誇る丸栄の閉店とともに、巨匠の傑作も瓦礫と化してしまうのだ。

週刊新潮 2018年7月5日号掲載

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