骨折り損の「常人逮捕」体験(中川淳一郎)

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 去年「常人逮捕」ってやつをやりました。「私人逮捕」とも言われるものですが、警察官や麻薬取締官ではない一般人が、現行犯の人間を逮捕することです。新幹線車内で1人を殺害、2人を負傷させた小島一朗容疑者をめぐってはネット上で「なんで周囲の男性は亡くなった男性を援護しなかったの?」「欧米だったら皆で捕まえたはず」みたいなコメントが多数書き込まれました。でも、「ナタ持っていて殺す気満々のヤツが相手だったら総合格闘技の選手だって簡単には勝てないぞ……」と正直思いました。

 そんなレベルとは違うのですが、私は去年コソ泥を現行犯逮捕したんですよ。とある会社で打ち合わせをしていたところ、同社の備品やら従業員向けのランチを盗む男を発見したわけですね。階段から逃げるそいつを追いかけ、そいつの持っていた紙袋の中に大量の同社商品を見つけたところで執務室に引きずっていき、社員から通報してもらって警備員を呼び、私が「常人逮捕」をしたのです。

 昨今「ヒーロー願望」ではありませんが、身の危険を顧みず悪人に対峙するようなニュースにネットでは絶賛の声が集まります。となれば、目の前を歩いている美女に対していきなり「キエーッ!」と奇声を発しながら襲い掛かる男を見た瞬間、持っていた傘の柄の部分でバシッとその男の頭を叩き、男は悶絶……。周囲にいた人々も協力して男を取り押さえている間に誰かが警察官を呼んでくれ、無事男は警察に連行される。

「素敵なあなた様、私を助けてくれてありがとうございます。どちらのどなた様でいらっしゃいますか?」「いやいや、名乗るほどの者ではありません」「いえいえ、少しでもお礼をさせてください」「ならば……」となってこの2人は交際することになったのです、めでたし、めでたし……。

 なんてことは起こりません! 「常人逮捕」をした場合は、そこから怒濤の実況見分と取り調べという現実が待っているのです! 結局私はその日、打ち合わせの後に別の仕事があったのですが、実況見分で時間を取られ、次の仕事は大幅に遅れました。

 その晩は飲み会もあったのですが、警察署での取り調べが待っていたため、参加は1時間限定。取り調べには2時間半かかりました。終電も終わっており、タクシー代は出るのかな、と思ったらこれが出ない! いやはや、コソ泥を捕まえるのは良いことですが、その後はかなり大変であることは知っておいた方がいい。現実とはそんなもんです。事務手続きは重要よ。

 ちなみに冒頭の新幹線事件についてですが、被害者以外の乗客男性へのネット上の批判めいた言説に対し、「そりゃ無理だろうよ……」と疑問を抱いたため、総合格闘家で、中量級の寝技師としては世界最高峰のレベルである青木真也選手に「殺す気満々でナタを持った人間を相手に青木さんのような世界の頂点取った素手の格闘家は勝てるものなのでしょうか?」とツイッターで聞きました。すると「格闘技をやっているから勝てると思うのは驕りでしかないです。刃物はもちろん、路上のケンカも逃げることを最優先」「正義感で立ち向かうよりも逃げろよ! です」という返事をもらいました。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんしゅうきつこ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2018年7月5日号掲載

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