早大新総長「田中愛治」教授の父親は大物右翼 昭和史に残る“フィクサー”
中東戦争をイギリス政府に“予言”
《73年9月から田中首相一行は欧州各国やソ連を歴訪しているが、私はロンドンの国立公文書館で当時の英国政府文書を調べてみた。そこで首相の直前に訪英した日本の財界人ファイルを入手して、その中の国際エネルギー・コンサルタンツ社の社長“Seigen Tanaka”という名前が目を引いた。田中清玄、海外で「東京タイガー」と呼ばれた国際的フィクサーで右翼の黒幕である。
戦前の武装共産党で書記長を務めた清玄は治安維持法違反で11年を獄中で過ごし、その後は右翼に転向して熱烈な天皇主義者となった。また海外の石油開発などの事業を手掛けて中国のトウ小平やアラブ首長国連邦のシェイク・ザイド大統領、欧州の名門ハプスブルク家の当主オットー大公、山口組三代目の田岡一雄組長など絢爛たる人脈を持つ人物として知られた。
この訪英で田中首相は国際石油資本ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)が保有する北海油田の権益獲得を目指したが、その交渉で英国政府やBPとの仲介役を果たしたのが清玄だった。彼の元側近によると、折に触れて入手した国際情勢に関する情報を個人的に田中首相に届けていたという。現職の首相と右翼の黒幕が手を取り合って石油確保を図るなど今からでは想像もしにくいが、当時のわが国はまさにオール・ジャパンで資源外交に取り組んでいたのだった。
そしてこれらの動きは米国のCIAも大きな関心を寄せていたようだ。機密解除された当時のインテリジェンス報告に次のような記述がある。
「日本のエネルギー問題に於ける長期的目標は国際石油資本への依存を減らしつつ安定的な石油供給源を確保する事である」
「それを促進するため日本政府は産油国との直接取引をしたいと考えており、(中略)日本企業も海外勢が保有する石油権益を買い入れて生産量の一部を獲得しようとしている」(73年11月9日、CIA報告書)
その上でこの報告はアブダビや北海、インドネシアなどでの日本の権益の交渉状況に触れているが、これらはいずれも田中首相や清玄が手掛けた案件である。
またこのロンドン滞在中に清玄は独自に入手した情報として近く中東で戦火が上がる可能性が高いと警告する書簡を英国政府首脳に届けている》
昭和天皇の崩御にショックを受けた晩年
80年代の活躍は「戦後政治と深いかかわり 昭和史の証人、故田中清玄氏=大須賀瑞夫<編集委員>」(毎日新聞93年12月12日号)に詳しい。
《80年には50年ぶりに中国を訪問し、最高実力者・トウ小平氏と会談。革命運動時代の共通体験と、アジア主義者としての田中氏の個性がマッチして、二人の関係は急接近。皇太子(現在の天皇陛下)の訪中話を中国に持ちかけ、昨年秋の天皇訪中の露払い役を果たしている。さらに中曽根康弘首相には靖国神社公式参拝の取りやめを進言するなど、歴代保守政権とのかかわりは意外なほど深かった》(※編集部註:漢数字を洋数字に変えた)
晩年の様子は週刊誌「AERA」が93年12月に「晩年は神妙だった「昭和の怪物」 田中清玄氏(リポート・追悼)」で伝えた。
《筆者は14年前、朝日新聞パリ特派員時代に、清玄氏に激怒されたことがある。「いったい、あなたの情報源はなにか。なにを目的として、やっているのか」と、はっきり質問したときだ。「なにッ、オレに、情報源などを聞くやつは、君が初めてだ」烈火のごとき罵声とともに、痰が喉にからんでハンカチの中に顔を埋め、なお怒っていた。清玄氏の国際情勢に関する話は、どこかの諜報機関の情報を直にもらっているかのように、具体的で生々しい内容なのだ。だが、東側機関でも西側でもないようだし、妙にバランスがとれているのが不思議で、質問したまでのこと。
しかしこれ以後、清玄氏は自分の交友関係をはっきりさせ、個々の情報の出所を明確にしてくれるようになった。それは諜報機関のものではなく、欧州、アラブの政治家、指導者から直接聞いてくるものが多く、情報の確度は驚くほど高い。分析も興味深かった。会津藩家老の末裔。闇と表の世界を走り回り、憑かれたように情報や人物を求める姿は、清濁すべての事情を掌握しようとする家老そのもののようであり、また本人もそれを自認していた。「できる指導者」にはどこへでも出掛けて会いたい、とするのは、仕える殿様を求めて、さまよっているようでもあった。昭和天皇死去後、明らかに清玄氏は、がっくりときていた。12月10日、87歳で死去》(編集部註:漢数字を洋数字に変えた)
先に紹介した毎日新聞の記事を執筆した大須賀瑞夫氏がインタビューを行い、『田中清玄自伝』(ちくま文庫)が刊行されている。その中に、次のような一節がある。
《右翼の元祖のようにいわれる頭山満と、左翼の家元のようにいわれる中江兆民が、個人的には実に深い親交を結んだことをご存じですか。一つの思想、根源を極めると、立場を越えて響き合うものが生まれるんです。中途半端で、ああだ、こうだと言っている人間に限って、人を排除したり、自分たちだけでちんまりと固まったりする》
そして息子の田中愛治・新総長は総長選挙で「負けた方の候補者を支援した職員が左遷されたり、降格されることはあってはならない」とTwitterで呟き、大きな話題を呼んだ。
田中愛治・新総長が「鷹」なのか「蛙」なのかは人それぞれ意見が異なるだろうが、自伝とTwitterの内容が不思議に似ていると思われた方は決して少なくないはずだ。
[3/3ページ]