「半端ない」乱発するメディアに違和感がある人へ

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特殊な悲しみ

「ヤバイ」は多くの形容詞の凝縮体であると考えることができる。「ヤバイ」一語で済ませるのではなく、それを自分の側からもっと細かいニュアンスを含めた表現によって深めたいという話をしてきた。

 しかし、先にあげたさまざまの状態や感情を表わす言葉は、それでも一般的な、最大公約数的な意味を担った形容詞なのである。必ずしも、その人独自の表現というわけではなく、誰にも通用する表現法であることからは、「ヤバイ」とそんなに違ったものではないという反論も可能である。

 話が飛躍するようだが、近代の歌人に島木赤彦がいる。彼はアララギ派の歌人であり、アララギは「写生」をその作歌理念に掲げていた。なぜ写生が必要なのか。赤彦は『歌道小見』という入門書の中で、「悲しいと言えば甲にも通じ乙にも通じます。しかし、決して甲の特殊な悲しみをも、乙の特殊な悲しみをも現しません。歌に写生の必要なのは、ここから生じてきます」と述べる。
 短歌は、自分がどのように感じたのかを表現する詩形式である。歌を作りはじめたばかりの人の歌には、悲しい、嬉しいと形容詞で、自分の気持ちを表わそうとするものが圧倒的に多い。これでは作者が「どのように」悲しい、うれしいと思ったのかが一向に伝わってこない。赤彦の言う作者の「特殊な」悲しみが伝わることがない。形容詞も一種の出来合いの符牒なのである。
 斎藤茂吉は島木赤彦と同時期に「アララギ」を率いた近代短歌の巨匠であるが、彼に、母の死を詠んだ一連がある。歌集『赤光』中の「死にたまふ母」一連である。

 死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天(てん)に聞(きこ)ゆる

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

 誰もが知っている歌であろう。1首目は「死に近き母」をはるばる陸奥(みちのく)の実家に見舞い、添い寝をしている場面である。普段は気にもならない蛙の声が天にも届くかと思われるほどに聞こえてくる。決して騒がしい声ではなく、しんしんと天にも地にも沁みいるような声である。1首が言っているのはそれだけのこと、まことに単純な事実だけを詠っている。2首目も、母がもう死のうとしている枕元、ふと見上げると喉の赤い燕が2羽、梁に留まっていた。ただそれだけである。
 ここには「悲しい」とか「寂しい」とか、そのような茂吉の心情を表わす言葉は何一つ使われていないことに注意して欲しい。にもかかわらず、私たちはそのような形容詞で表わされる以上の、茂吉の深い内面の悲しみを感受することができる。考えてみれば不思議な精神作用である。文章の上では何も言われていない作者の感情を、読者はほとんど何の無理もなく感受することができているのである。

 もしこれらの歌のなかに、茂吉の感情として「悲し」「寂し」などの形容詞が入っていたとするならば、一般的な感情としては理解できるが、それだけではけっしてその時の茂吉の悲しさ、寂しさを表現したものにはならないだろう。悲しい、寂しいという最大公約数的な感情の表現でしかないからである。「決して甲の特殊な悲しみをも、乙の特殊な悲しみをも現しません」と赤彦の言う通りである。
 短歌では、作者のもっとも言いたいことは敢えて言わないで、その言いたいことをこそ読者に感じ取ってもらう。単純化して言えば、短詩型文学の本質がここにあると私は思っている。

 これはかなり高度な感情の伝達に関する例であるが、私たちは自分の思い、感じたこと、思想などを表現するのに、できるだけ〈出来あいの言葉〉を使わずに、自分の言葉によって、自分の思いを、人に伝える。この大切さをもう一度確認しておきたいものだと思う。
 ヤバイ、カワイイだけで通用していた社会は、すぐに卒業ということになり、いよいよ実社会へ出ることになる。就職という課題が目の前にちらつきだすと、途端に言葉遣いが変わってくる。「オンシャは」などと言い慣れない言葉が飛び出すようになるのを見ているのは痛々しいことだ。
 これもマニュアルなのだろうが、もし私が会社側の面接官だったら、「オンシャ」などという出来あいのマニュアル通りの言葉を使うような若者は、イの一番に刎ねてしまうだろうと思うのだが、どうだろう。すでにできてしまっている言葉の世界で、みんなが使う言葉でしか自分を表現できない若者に、いったい独創性とか個性とかを期待できるものなのだろうか。一企業を主体的に担うに足る人材とは、そんなものではないはずである。

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 新しい言葉、流行の言葉、あるいは汎用性の高い言葉はつい使ってしまいたくなるのが人情だろう。しかし、安易に「半端ない」を連発することは、決してその対象をリスペクトしていることにはならないのではないか。少なくとも言葉を生業とするメディアは、そう肝に銘じておいたほうがいいのかもしれない。

デイリー新潮編集部

2018年7月6日掲載

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