蔑にされてきた「犯罪被害者」たちの戦い 「神戸連続児童殺傷」遺族が指摘する課題
やらなあかん
かように被害者遺族は蔑(ないがし)ろにされてきたのだが、高らかに“人権”を謳う我が国の司法制度の中で、最も加害者が護られる少年事件では、それが顕著だった。
このような現状に一石を投じた事件がある。97年、神戸市須磨区で当時11歳だった土師(はせ)淳君が、14歳の「少年A」に殺害された「神戸連続児童殺傷事件」だ。
淳君の父・土師守さんは、会の副代表幹事を務めたが、
「被害者は、少年審判においては全くの“蚊帳の外”でした。私たちも、法律的に無理だろうとは思っていましたが、代理人を通して加害男性の審判の傍聴をしたい、陳述したい、質問したいと家庭裁判所に申し入れをしましたが、できませんでした。自分の子供が殺された事件なのに、その審判に全く関われないなんてありえない話です。なぜ自分の子供の命が奪われなければならなかったのか、被害者の親には知る権利があります」
だから“やらなあかん”と思い活動してきた――そう語る土師さん。08年の被害者参加制度の導入で、少年審判における被害者の審判傍聴も条件付きで可能になった。これはこれで大きな前進だが、他方、まだまだ少年事件については課題も多いと感じているという。
「少年院での更生プログラムがきちんと機能しているのか疑問です。私の事件の『加害男性』の場合は特殊な例かもしれませんが、失敗だった」
「少年A」は事件後、医療少年院に送られ、異例と言われる7年間に亘り、“治療”が施された。しかし、社会に復帰してからは、遺族に何の断りもなく、3年前、手記『絶歌』を出版したのは記憶に新しい。毎年、淳君の命日に土師さんの元に届いていた「手紙」も、ついに今年は送られてこなかったという。
土師さんは、少年事件の被害者家族、特に兄弟に対する支援が必要だが、現実にはなにもなされていないとして、こんな指摘もする。
「特に兄弟が思春期の子供だと、精神的打撃が強く、そのために学校へ行けなくなる、勉強が手につかないという状態になることが多い。それなのに公的なサポートは何もない。片や加害者は少年院で勉強もできれば職業訓練も受けられる。これは差別です。退職した教師を活用するなどの方法も考えて欲しいのですが、未だ何も実行されていません」
現在、少年法が適用される年齢を、現行の20歳未満から18歳未満に引き下げるべきかどうかの議論が始まっている。土師さんは、法務省の勉強会に意見参考人として招かれ、「当然18歳未満に引き下げるべきだ」と主張したと続ける。
「現在では18歳で大人と認められ、選挙権もある。権利と義務は表裏一体のはずですから義務も負わなければならない。選挙権を与えられた人間が、他方で少年法で守られるというのはおかしいですよ」
冒頭の最終大会の総括では、会立ち上げの中心となった岡村勲弁護士が、
「今後(の活動)を担うのは、国であり国民である」
と話し、会場は万雷の拍手に包まれた。犯罪被害者の戦いはまだまだ続く。
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