トヨタ「中卒副社長」はなぜ個室を使わないのか
開かずの間の個室
トヨタ自動車の河合満副社長は、現場からの叩き上げである。中学卒業後、入社し、一貫して工場で働いてきた。主に担当したのは鍛造の仕事である。
現場で汗をかくうちに出世して、副社長にまでのぼりつめた。しかし、彼は現在でも毎日、現場に出向き続けている。
工長を「オヤジ」と呼ぶ文化を持つ同社では、今でもモノ作りの全責任を負っているのは大卒の管理職などではなく、オヤジたちだ。
河合のような「オヤジ」の思考は、ちょっと現在では珍しい部類になりつつあるのかもしれない。たとえば、彼は出世したあとでも個室を使いたがらなかった。
普通は企業の役員となれば、個室があてがわれるのは普通だろう。個室を得ることで「俺も偉くなった」と実感する企業人も決して少なくないはずだ。
ましてや大企業のトヨタで個室を持てる立場になったとなれば、満足感もひとしおだと思えるのだが……。
なぜ個室に入ろうとしなかったのか。
長年、河合らを取材してきたノンフィクション作家・野地秩嘉氏の新著『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』から、河合自身の言葉を紹介してみよう。
「60歳で副工場長、理事になり、本社の事務棟に個室をもらった。でも、オレは現場にいると答えた。品質問題、大震災、タイの洪水の時も現場で仕事をしていたからだ。事務棟の個室にいて、パソコンや電話で指示を与えても事態は解決しない。会議のときはそりゃ行くけど、『オレは鍛造の事務所にいる』と宣言した。
専務、副社長になってからも、本社事務棟にはほとんど行っていない。今でも現場だ。2013年に技監になった時、『こんどは個室に入ってくれ』と、また事務棟に部屋ができた。それでも行かなかった。そうしたら、当時の副社長や専務が来て、『河合さん、どうして個室を使わんの?』と。
『オレはここで仕事をしてる。ここで風呂に入って、現場を見てる』
頑固なジジイだと思ったんじゃないの。でもね、オレは執行役員だから、現場に間違いがあってはいかんから、離れるわけにはいかんのだ。結局、技監の間の2年間に一度も個室に入らなかったし、部屋の鍵を開けもしなかった」
2015年には専務に昇格した。
結局、技監の時の個室のなかを見たことがなかった彼は、秘書に、「悪いけど、部屋を見てきて、写メ撮ってくれ」と頼んだという。
「2年間1回も開けたことがない。一度見てみたい」
秘書は「自分で行けばいいのに」とぶつぶつ言いながらも写メを送ってくれた。
「写メ見たら、なかなかいい部屋だったけど」というのが河合の感想である。
先輩たちの喜び
彼が専務になることが新聞で報じられた日、彼の自宅の電話は朝から鳴りっぱなしだったという。
「携帯じゃないよ。自宅の電話だよ。誰かなと思ったら、全部、現場の先輩たちだった。
『河合、おまえ、ようがんばったな、えらかったな』
みんな、最初のひとことはそれだ。その後は……。
『おまえんとこの社長はえらいな』って。
お前を認めたんじゃなくて、社長は俺たちを認めてくれたんだと感激していた。
先輩たちは現場で真っ黒になって一生懸命、モノ作りをした人たちです。そんな技能系がやっと認められた。真っ黒になって働いた後輩が経営陣に仲間入りした。
オレも会ったことのない90歳のおじいちゃんからも電話がかかってきて、『おい、俺だけど、わかるか』って。
オレだオレだと朝から何本も電話がかかってくる。若いやつじゃなく、おじいちゃんからだから、オレオレ詐欺じゃない。
『おい、河合、わかるか? オレだ。マツイだ』
はい、どちらのマツイさんでしたかと訊ねたら、『バカもん、マツイと言えばマツイだ』
はい、わかりました。先輩。マツイさんですね。
『そうだ。マツイだ。おう、そうだ。俺な、ちょっと年くってな、自動車の免許は息子に取り上げられたし、どこも行けんでうちのなかで、ふらふらしとる。でもな、おまえのこと、新聞で見たら、俺はうれしくなってな。息子に今電話せいと言ったんじゃ』
そういう先輩たちでした。あの日は1日、電話で話をしてました」
その後、河合は副社長となる。しかし今でも毎朝鍛造工場に出向き、工場にある風呂に入ること、工員用の食堂で食事をすることを日課としている。