「犯罪被害者」たちは何と戦ってきたのか――活動が届けた“最低でも死刑を”の声

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涙に“これは危ない”

 事件から2年後に始まった裁判員裁判は、永山基準(※83年に最高裁が提示した死刑判決の判断基準。被害者が何人なのかが重視される)との闘いだった。

 加藤さんが話を継ぐ。

「娘の事件の場合、判決は無期懲役か死刑のどちらかしかない。1人しか殺していないので無期になる可能性も高かったのです」

 だが、当初、加藤さんは間違いなく死刑判決が出ると思っていた。住田は、奇妙なほど冷静で、何の人間的な感情も見せることなく、裁判員の心証を悪くすることばかり述べていたからだ。

 例えば法廷で検察から、「殺人行為についてどう考えるか」と問われた彼は、

「殺人は手段として是認される。目的を達成するためなら許される」

「警察に捕まらなければ何をしてもいい」

 などと繰り返した挙句に、「出所後にまた殺すのか」という問いに対しても、

「もちろんです」とまで言い切ったのである。

 そんな住田の態度に異変が起きたのは、3回目の公判の時だ。加藤さんの妻が涙ながらに、娘をどれだけ愛し慈しんだか切々と陳述すると、今まで能面のような表情を崩さなかった彼が、いきなり泣き出して「ごめんなさい」と口にした。

 法廷中がどよめいたが、

「これは危ないと思った」

 と加藤さんは直感的に感じたとしてこうも言う。

「判決では1ミリでも情状酌量の余地があれば減刑する場合がある。住田の場合も、これが反省の涙だと思われては困る。急遽、最終日に陳述をやらせて貰いました」

 法廷では住田の母親が、「息子に死んで貰っては困る。生き延びて親子で償いをしたい」とも述べていた。

 住田は法学部出身で、司法試験に挑戦するなど法に明るい。死刑回避を狙って一発逆転の手を打つなら、タイミングとして今しかない――彼の涙は、巧みな法廷戦術にしか見えなかったと加藤さんは続ける。

「住田の涙に決して騙されてはいけない。裁判員には、くれぐれも冷静な判断をして頂きたいと訴えたのです」

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