日本でも女心をとらえたブランド「ケイト・スペードさん」、成功と不安(墓碑銘)
その突然の死に、世界中の女性たちから悼む声が上がっている。週刊新潮のコラム「墓碑銘」から、ケイト・スペードさんの歩みを振り返る。
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仕事や普段使いのバッグはどのような物が良いのか、女性は悩むのだという。あまりに高級すぎては場にそぐわない。かといってありふれた物はつまらない。
良質なのに手が届く価格で、色合いやデザインも多彩、おまけに機能的とあって、「ケイト・スペード ニューヨーク」のバッグは世界で広く支持を集めた。バッグを中心にアクセサリーや服なども扱い、現在全米に140店以上、米国外に170店以上を展開する人気ブランド。日本でもファッション誌に頻繁に登場する。
ブランド名は創業者の名前を冠したものだ。ケイトさんは、アンディ・スペードさんらとバッグのデザインを手がけ、1993年にブランドは動き出した。
それから25年。現地時間の6月5日午前10時過ぎ、ニューヨーク、マンハッタンにある自宅の寝室で、意識を失っているケイトさんを家政婦が見つけた。スカーフで首を吊っていたという。55歳、自ら終止符を打った。
ケイトさんは、62年、ミズーリ州のカンザスシティー生まれ。アリゾナ州立大学ではジャーナリズムを学ぶ。この頃、後に仕事のパートナーで夫にもなるアンディさんと出会っている。大学卒業後、ニューヨークに出てファッション誌「マドモアゼル」の編集者となり、アクセサリーに関する記事を担当した。
バッグを作ろうと決心したのは、自分が欲しいと思うバッグが見つからなかったから、とはおもしろい。
ファッション評論家の堀江瑠璃子さんは言う。
「ケイトさんの原点で、その後も中心にあったのは、バッグです。おしゃれで実用的で、キャリアウーマンが使うことを念頭に置いた発想は先駆的でした。編集者だけあって、今何が求められているかをとらえる感覚が優れていたと思います。遊び心もある一方で、流行に左右されずに長く使えることを考え、良心的でした」
バッグがブランド物として主張しすぎることなく、使う人が快適に感じることを重要視していた。愛着を持って毎日の生活に使える、と20〜40歳代を中心に世界中の女性の心をつかんだ。
「服は流行の移り変わりが激しいのですが、バッグの評価はそれほど急変しません。ケイトさんのブランドを手にすれば大人びて見える、という位置づけも日本ではあります」(堀江さん)
ブランドを興した翌年にアンディさんと結婚。ブランドは靴や服、文房具などにも広がった。しばしば来日しチャリティーも行っている。ブランドの創業者として成功を収めても謙虚で、取材を受ける際に記者らに飲み物を用意したりと気遣いをする人だった。
2005年に女児を授かると、07年までに夫妻はブランドを売却して会社を離れ、子育て中心の生活に転じた。
17年には米国の高級皮革製品メーカーのコーチ(現・タペストリー)に24億ドル(約2600億円)で買収され、傘下に入った。
「ブランドを持つ親会社は変わっても、ケイトさんの原点や考え方を受け継いで続いています」(堀江さん)
ケイトさん夫妻は、16年に新しいブランド、「フランシス・ヴァレンタイン」を作り、バッグと靴を発表するなど活動が注目されていた。そこに突然の悲報である。
夫のアンディさんはケイトさんが近年、鬱病と不安にさいなまれ、医師の治療を受けていたことを明らかにした。さらに、最近10カ月は別居していたが、離婚を考えたことはなく、毎日会うか話をしていた。亡くなる前夜の声に何の予兆も感じなかったという。13歳の娘は双方の家を行き来していたが、当時はケイトさんのもとにはいなかった。娘への遺言が記されたメモがあった模様だ。
訃報は米国で大きく扱われている。ケイトさんの笑顔の蔭に苦しみがあったことを知り、悼む声とともに鬱病について考える動きにまで広がりを見せている。