2番目の妻に未練タラタラだった「紀州のドン・ファン」 幼妻に告げていた“離婚する”

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利用続けたデートクラブ

 しかも、Sさんとの結婚後も2番目の妻に執着するだけでなく、高級デートクラブの利用もやめたわけではなかった。

「野崎さんは、東京・銀座に2軒、大阪にも常連のデートクラブがありました」

 と、10年来の友人だという人物が明かす。

「結婚相手となりそうな女性を大勢、紹介してもらっていたが、一晩の相手は見つかっても、“いくらお金持ちでも介護なんてしたくない”と、結婚はことごとく断られていました。野崎さんは、“結婚できたら300万円払う”と約束していたから、高級デートクラブ側も必死で探した。結局、現在の奥さんと結婚するわけですが、野崎さんはこの4月にも、銀座の高級デートクラブに女性を紹介してもらっていました」

 あらたな結婚相手を、物色していたのか。

 果たして、ほどなく夫婦間に抜き差しならない局面が訪れる。実は、野崎氏は急性覚醒剤中毒で急死する1週間ほど前、Sさんに離婚を切り出していたのである。

 前出の会社関係者によると、

「社長は不満が山ほど溜まっていたのでしょうね。“離婚する”と告げるため、上京中のSさんのケータイに電話をかけました。でも、応答がなかったため、番頭格の従業員にメールを送らせた。Sさんはメールを見た途端、飛んで帰ってきましたよ。社長が亡くなった後、“何が、離婚を突き付けられた原因だったの?”と訊ねたら、“それを聞く前に、死んじゃった”と言っていましたが……」

 野崎氏が離婚に傾いた理由は何だったのか。

(下)へつづく

週刊新潮 2018年6月21日号掲載

特集「22歳『幼妻』は『紀州のドン・ファン』から離婚を切り出されていた!」より

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