コースも選手もルールさえも「紙一重」だった「全米オープン」
「成功するか、失敗するか。その差はファインラインだ」
全米オープンを主催するUSGA(全米ゴルフ協会)は、118回目の開催となった今年の開幕前から、そう言っていた。
「ファインライン」とは、直訳すれば「細い線」。ほんのわずかな差、紙一重の差のことである。
ニューヨーク州ロングアイランドの「シネコックヒルズGC」が全米オープンの舞台になったのは、今年が5回目。前回開催の2004年大会では、予想外にコースが干上がり、最終日のプレー途中でグリーンに水を撒くという前代未聞の事態となり、「大失敗の全米オープン」のレッテルを貼られた。
「今のなし。もう1球!」という具合に打ち直すショットを、お遊びゴルフにおいては「マリガン」と呼んでいる。今年の大会の開幕前、USGAは「今年はマリガンを打たせてもらう」と言っていた。つまり彼らは2004年大会のコース設定を失敗だったと認めた上で、今年こそはと「打ち直し」ならぬ「出直し」に賭けていた。
大気中の湿気や気温を計測するための最新機器を採り入れ、広範囲に渡って芝の水分などを把握するためにドローンまで導入。そうやって人事を尽くして天命を待っていたが、その天命、いや天候が、尽くしたはずの人事を瞬時に台無しにしてしまうこともある。コース作りにおいて、最後のサイコロを握っているのは、マザーネイチャー。
だからUSGAは「成功するか、失敗するか。その差はファインラインだ」と言っていた。
批判と嘆きと
いざ試合が始まると、断続的に雨や強風に見舞われた予選2日間は、選手たちの間から聞こえてきたのは「コースはフェア」という声だったが、3日目は一転して「アンフェア」の声に変わった。
14年前と同様、予想を超えた日照と強風の影響でコース全体が干上がり、とりわけグリーン周りとグリーン上は、ボールがどう転がるかわからず、止まるかどうか、止められるかどうかもわからない「アンプレアブルな状態だ」、と。
プレー可能か、不能か。フェアか、アンフェアか。その差もファインラインだからこそ、侃々諤々の議論を巻き起こした。
だが、3パット、4パットが続出し、松山英樹も4パットを2度も喫して79を叩いた3日目は、80以上を叩いた選手が8人に及んだ。USGAは「3日目の終盤はグッドショットが報われず、むしろ悪い結果を招いたケースも見て取れた。最終日は適度な量の水を撒き、グリーンを適度にスローダウンさせ、プレー可能な状態にする」と声明を出す異常事態へ発展。何を持って「適度」とするか、その判断もファインラインであるところが事態をさらに複雑化してしまった。
ともあれ、「適度な」対応、対処が施された最終日のシネコックヒルズは「プレー可能」となり、選手たちはスコアを伸ばし、60台で回った選手は66の松山を含めて15人。
しかし今度は「全米オープンならではのチャレンジングな最終日という“らしさ”が損なわれた」という嘆き声が、どこからともなく聞こえてきた。
ミケルソンの悲しいガッツポーズ
しかし、シネッコックヒルズの週末の全米オープンらしさを一番損ねたのは、やはり何と言ってもフィル・ミケルソンが起こした珍事だった。
3日目の13番グリーンで、まだ転がっているボールを走り寄ってパターで打ち返した行為を、ミケルソン自身は「2罰打は承知の上。右往左往するより、2罰打を受けることを選んだ。ルールを最大限に活用した」と主張した。
これが果たしてルールの活用か、悪用か。その差はファインラインではないと誰にも思える。意図的に、故意に、ルール違反行為に及んだ場合は失格という条項もルールブックには明記されている。
しかし、USGAは、失格に該当するのは「重大な違反があった場合のみ」と主張。ミケルソンの違反はそれには当たらず、動いているボールを打ったことですでに2罰打が科されているのだから、それ以上のペナルティは不要という判断を下した。
重大な違反と、そうではない違反。その差は解釈に委ねられてしまうため、ファインラインというより主観的で曖昧だ。USGAによれば、動いているボールに対する重大な違反とは、たとえばOBやウォーターハザードに入りそうなボールを故意に止める行為を指すという。ミケルソンは「単に動いているボールを打ち返しただけ」なのだ、と。
ミケルソン自身、「そのまま転がるとグリーンを出てバンカーに転がり込む。行ったり来たりするより、2罰打のほうを選んだ」と言っているのだから、USGAが言う「重大な違反」そのもののようにも思えるのだが、もはや「ルール・イズ・ルール」となり、ミケルソンは失格になることなく最終日もプレーした。
折しもリッキー・ファウラーと同組。アメリカの2大人気スターとも言える2人が一緒だというのに、シネコックヒルズのギャラリーがミケルソンに送った拍手と声援は、これまでとは比べ物にならないぐらい小さく少なくなっていた。
4大メジャーで唯一手にしていない全米オープン優勝を悲願に掲げ、毎年、大会期間中に誕生日(今年はまさに3日目だった!)を大観衆から祝ってもらい、笑顔で頷くミケルソンは、全米オープンの象徴のような存在だった。
そのミケルソンが、大観衆の奇異の目の中でプレーしていたサンデーアフタヌーン。問題の13番でこの日は普通にカップインした瞬間、本人は観衆に向けてややオーバーアクション気味にガッツポーズを決めて見せたが、その場面に遭遇したとき、悲しい気持ちになった。
「限界を強いられるのが好き」
ただ、29年ぶり史上7人目の全米オープン連覇を成し遂げたブルックス・ケプカは、シネコックヒルズに立ち込めていた重苦しい空気を見事に取り払ってくれた。
人生もキャリアも、その成否、その明暗を分けるものはファインラインであることを、ケプカは誰よりも痛感していたからこその偉業達成だったように思う。
2012年の全米オープンにアマチュアとして出場し、無残に予選落ちしたケプカは、自信満々の人生から失意の底へ転落。自分のゴルフと自分自身を磨くため、すぐさまプロ転向し、あえて欧州へ渡って修行生活に身を置いた。
2014年に欧州ツアーで初優勝を挙げ、ようやく母国アメリカに戻り、米ツアー挑戦を開始。2015年のフェニックス・オープンで松山英樹との優勝争いに競り勝ち、米ツアー初優勝。しかし、その直後から「何をやっても、どうしても勝てない日々になった」。
惜敗の繰り返しの中、同じコーチに師事する“兄弟子”でもあるダスティン・ジョンソンから「勝とうとするな。耐えろ」と電話でアドバイスを受け、そして勝利したのが昨年の全米オープン。
「勝とうとするから勝てなかったことに、あのとき僕は、ようやく気付いた」
勝とうとして前のめりになること、勝とうとせずに我慢しながら勝利を狙うこと。その差こそが、最大の、いや最小の極細のファインラインであろう。
昨年の全米オープン覇者に輝き、これからというタイミングだった今年1月、左手首を激しく痛め、4カ月の戦線離脱。ようやく復帰できたものの、今大会直前には肋骨も痛め、それでも歯を食い縛り、笑顔でシネコックヒルズのティグラウンドに立った。
わずか6年足らずの間に、次々に「キャリアの頂点とどん底の両方を味わった」というケプカは、だからこそ、薄氷の上でプレーする厳しい戦いに耐えることができた。
「僕は限界を強いられるのが好きなんだ。今にも精神的におかしくなりそうになるぐらいの厳しいテストが好き。コースがどうであれ、全米オープンを制すること、連覇することは、僕にとっては限界に挑む戦いだった。全米オープンというものがあること、そこで戦い、勝利できたことに僕は心から感謝している」
ケプカのこの言葉が、今年の全米オープンを失敗から成功へ導いてくれたのではないだろうか。
いい全米オープンになった――最後の最後に、そう思えたことがうれしかった。
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