棺を蓋うて「コマツ社長」生前葬の式次第
余生3等分主義
この生前葬の様子に触れる前に、経済部デスクの人物評を聞いておこう。
「1995年から2001年までの社長在任中、不採算だった建設事業からの撤退を決断。グローバル化を見すえて中国などへの海外展開に成功しました。会長や相談役を歴任し、05年に引退しています」
以降は、日中の草の根交流の活動や、故郷の徳島県の後進育成に熱心だった。
さて、生前葬には、財界関係者や一橋大学の同級生、徳島県関係者など1000人が集まった。“参列”した財界関係者が語る。
「会場は立食パーティー形式でね。スクリーンでは、昔、コマツのCMに出たLAドジャースのピアザ捕手と会見する安崎さんの映像が流され、壁には松井秀喜選手や長嶋茂雄監督とのツーショット。阿波踊りの披露で閉会です。司会者ナシ、安崎さんも含め、誰かが壇上で挨拶するでもない。堅苦しさゼロの会でした」
先の新聞広告と会の費用は“主賓”の私費だという。
「安崎さんは車椅子で場内をゆっくり回って、一人ひとりと握手したり写真を撮ったりしていました」
徳島から参加した男性は、
「安崎さんの口癖は、“余生3等分主義”。余生のエネルギーや資産を、人のため、妻のため、自分自身のために3等分するという意味です。徳島の教員に海外を見聞させる事業に3000万円もの私財を投じてくださり、その報告会で、“海外のどこでもコマツのフォークリフトがありました”と写真を見せると、嬉しそうにしていたんですよ」
2時間ほどの会が終わり、
「人生楽しかったな、と思いながら棺桶に入りたい」
安崎さんはこう話したが、叶ったかどうかは、本当の葬儀を執り行ったご家族にしか分からない。
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