第2次世界大戦の教訓は、いまの日本で忘れられた
マネーはあらゆる経済活動の背後にあるが、特に戦時においては、極めて重要な役割を果たす。マネーを増発することによって戦費を調達できるからだ。負担はインフレーションという形で生じるので、政府は返却する必要はない。
これまで見てきたように、ナポレオン戦争、アメリカ独立戦争、南北戦争を通じて、戦費調達におけるマネーの役割が高まった。
19世紀に、イギリスがリードして世界的な金本位制が確立され、政府が安易にマネーに頼ることはできなくなった。しかし、金本位制は、第1次世界大戦で停止された。大戦後に復活が試みられたが、成功しなかった。
それ以降、中央銀行の紙幣は不兌換紙幣になった。こうして、政府は、マネーの発行によって、いかなることもできるようになってしまったのである。
日本の第2次世界大戦における戦費の大部分も、マネーを発行することで調達された。
日本国内においては戦時国債、占領地においては軍票が増発され、これによって資源が軍事目的に徴発された。軍票は中央銀行券ではないが、実質的には同じものだ。
また日本の戦後復興も、事実上の日銀券である復興金融金庫債で資金を調達する傾斜生産方式によって行われた。
「マネー増発」という手段を用いなければ、戦争の遂行はできなかったし、戦後復興もできなかったろう。
中央銀行の最も重要な役割は、こうしたことを阻止し、貨幣価値を維持することだ。しかし、戦争の遂行や復興は、貨幣価値の安定より重要な目的だと考えられたのである。
復興の完了後、それまでの経験を踏まえて、政府の財源調達はマネーによらないことが基本方針とされた。これを確保するため、「財政法」第5条によって、日本銀行が国債を引き受けることが禁止された。
日本の高度成長は、そうした経済環境の中で実現したのだ。
異次元金融緩和で、政府の負担が消滅した
しかし、こうしたことは、すべて忘れ去られてしまった。
2013年に日本銀行は異次元金融緩和を開始。これによって、日銀引き受けと実質的に同じことが行われるようになったのだ。
日銀による国債購入量が飛躍的に増やされたが、それだけではない。償還までの期間が長い国債を買えるように、方針転換がなされたのである。それまでは、償還までの期間が短い国債だけを買っていた。だから、国債を引き受けた銀行は、それを直ちに日銀に売ることはできなかった。ところが、異次元緩和以降、右から左へと売れるようになった。これは、事実上、日銀引き受けと同じものだ。だから、財政法第5条の脱法行為である。
異次元金融緩和政策は、マクロ経済への影響という点では、効果がなかった。また、「消費者物価指数の対前年上昇率を2%にする」という目標も達成できなかった。日銀当座預金が増えただけで、経済に流通するマネーストックがほとんど増えなかったからだ。
しかし、全く無意味だったかといえば、そうではない。国の負担を軽減するという点では、大きな効果があったのだ。
財政・金融的な観点からいうと、国と日銀を一体と考えてよい。そこで、これを「財政通貨当局」と呼ぶことにしよう。
日銀が国債を買取って国債の保有者が民間主体(例えば民間の銀行)から日銀に変われば、国債は国と日銀との貸し借りになってしまって、財政通貨当局の中では相殺される。形式的に国債の利払いや償還はなされるが、それは国にとって負担にならないのである。
こうなっても、財政通貨当局が民間部門に対して負債を負っていることに変わりはない。しかし、その形態は、「国債」という形から、「日銀当座預金」という形に変わったのだ。
当座預金は要求払い預金であるから、返却の要求がある。しかし、これは財政通貨当局にとって負担にならない。なぜなら、日銀券を発行すれば返却できるからだ。日銀券は、日銀の負債ではあるが、返却する必要がない。利払いもない。
つまり、 財政通貨当局の負債は、「民間銀行保有の国債」という形から「日銀当座預金」という形に変わり、さらに「日銀券」という形に変わりうるのだ。こうなれば、「国債の貨幣化」になる。これによって物価が上昇すれば、民間に残っている国債残高についても、負債の実質的な負担は減少する。
現在の日本では、財政通貨当局の負債は日銀当座預金という形をとっており、まだ日銀券になっていない。だから、国債の貨幣化にはなっていない。しかし、負担にならなくなった点では同じだ。
これによって財政規律が緩んだ。税負担を増やしたり、支出を削ったりする必要がなくなったからだ。これ以上の消費税率の引き上げは行われない可能性が高いし、社会保障制度の見直しも行われない。
社会保障は戦費と同じくらいに大きな負担だ。しかも、終わることがない。それが際限もなく膨張することの負担は、どのような形で将来の日本国民の上に落ちるのだろうか?
Foresightの関連記事