ミスアメリカの水着審査廃止 「リベラル」が目指す窮屈な平等

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水着審査が廃止

 アメリカで100年近い歴史を持つ「ミスアメリカ」コンテストにおいて、水着やドレスといった外見的な要素を審査することを中止する方針が発表され、波紋を呼んでいる。

 外見で判断しない、という考えがその背景にあるというが、日本人の多くにとっては素朴な疑問がいろいろと浮かぶ方針だろう。

「じゃあコンテストしなきゃいいのでは?」

「そのうち、審査員が審査することそのものが差別ということになるのでは?」

「ルックスだけで勝負したい人への差別にならない?」

 しかし、政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス=PC)を求める動きが加速し続けているアメリカにおいて、こうした動きは決して唐突なものではない。性差別、人種差別などにつながりかねない表現は、これまでにも次々と槍玉に挙げられてきたのだ。外見で他者を差別する行為は「ルッキズム」と呼ばれる。ルッキズムに対して批判的な人たちは、ミスコンにそもそも否定的だったようだ。

 このPCを積極的に推進しているのが、所謂「リベラル」と呼ばれる勢力なのはすでに知られているところだろう。

名門校のエンブレムが変更に

 ハーバード・ロースクールへの留学経験を持つ元財務省キャリアの山口真由氏は、著書『リベラルという病』の中で、いくつもの実例を挙げながら、日本では考えられないPCの現状を伝えている(以下、同書より抜粋して引用)

 まず、山口氏自身がハーバード・ロースクールに在籍していた2016年のエピソード。この時問題にされたのは、1936年に制定された学校のエンブレムだった。

「エンブレムには、三つの束に結わえられた穀物が描かれているが、元になったのはロイヤル家の家紋だ。そして、このロイヤル家は奴隷を所有してプランテーションで農業を営んでいた。これについて黒人教授や黒人学生が、エンブレムは奴隷制を象徴するものだと抗議し、学校側も改定を認めたのだ」

 人種問題については、こんなエピソードもある。

「1992年の大統領選挙に立候補して旋風を巻き起こした大富豪、ロス・ペローは、黒人の聴衆を前にして『あなた達は』と呼びかけながらスピーチした。この『あなた達』という表現が、黒人を『他人』としてみているとして、PCの観点から批判された」

 じゃあどう呼びかければいいのか。正解は不明だが、アメリカで政治家をするにあたって、日本の比ではないほど言葉に気を遣う必要があることだけは間違いない。

ヒストリーもダメ?

 性差別にも極めて敏感な人が存在する。すでに「ヒストリー(歴史)」という言葉に対して、「ヒズストーリー(彼の物語)」だと批判し、「ハーストーリー(彼女の物語)として、女性の視点から再構成しようとした運動まである。

 こうした理屈からいけば、「人間一般」を「彼」という代名詞で表すことは不可。

 法律家の文章で「検察官」などが登場する時に、いちいち「検察官はこういう役割を担う。そして検察官は……、さらに検察官は……」などと書かれたものは読みづらい。普通は「彼は~」といった形で受ける。しかし、それは差別になりかねないので、たとえば「検察官」を「彼」としたら、「警察官」は「彼女」と受けなさい――こんな指示が本当に法律家の教科書に書かれているのだ。

 日本では(多分多くの国ではまだ)問題がない「夫」「妻」といった表現も、問題視されかねない。同性婚を想定していない差別主義者、と批判の対象になりうるのだ。

 日本で普通に目にする表現を、こうしたPC的観点でチェックすれば、大変なことになるだろう。「イケメン」「美女」「ブサイク」「ビンボー」「オネエ」等々。ありとあらゆる表現が槍玉に挙げられかねない。

 それは日本人が望む「正しさ」なのだろうか。

 「リベラル」イコール「良識派」のように無邪気に捉える人が少なくない。しかし、その問題点、息苦しさを知るべきだ、というのが山口氏が提起している問題意識だ。

デイリー新潮編集部

2018年6月13日掲載

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