シュワちゃんに寅さん… 世界のVIPを唸らせた帝国ホテルの「靴磨き職人」

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「帝国ホテルの靴磨き」が見た華麗なる戦後史(下)

 白洲次郎に石原裕次郎、そしてA・ドロン……。靴磨き職人のキンちゃんは、錚々たる面々の靴を磨いてきた。現在も働く帝国ホテルにキンちゃんがやってきたのは、当時のホテル取締役・犬丸一郎氏のスカウトがきっかけだった。前回に引き続き、週刊新潮2005年1月13日号が掲載した本人インタビューから、キンちゃんが出会ったVIPたちとのエピソードをご紹介する。(※データは記事掲載時のもの)

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 ニューヨークの大変な財閥の方が、エルメスのシューケースにジョン・ロブの靴を入れ、毎日2足ずつ下ろしてきました。その方が通訳の方を連れてきて、ニューヨークに来ないか、と誘われたこともあります。全部面倒を見るから、向うで靴を磨いてくれ、と言うのです。だけど、私は帝国ホテルの靴磨きの責任者。仕事に穴を開けるわけにはまいりません。もしチャンスがあったらいつの日か行きますよ、と答えて、丁重にお断りいたしました。

 10年ばかり、夜の靴磨きを、ちゃんとやったご褒美だったのでしょうね。犬丸さんのアイデアでもあったのだと思いますが、地下1階のエレベーターホールの脇にシューシャインの場所をもらいました。料金は1足磨いて200円でした。

――昭和42年12月に帝国ホテルの象徴ともいうべき旧ライト館の解体が始まる。新本館が完成した45年、靴磨きコーナーが現在の位置に移る。

 カトリーヌ・ドヌーブが来日(昭和48年)したときのことです。いつものように仕事をしていたら、午前中、彼女が地下まで降りてきました。「ハロー」と声をかけたら、無視されてしまったのです。

 英語は使い慣れているので、ついつい口をついて出てしまう。いけねえ、フランスの人には「ボンジュール」って言わなきゃと思っていたら、翌日も地下に降りてきた。で、「ボンジュール。コマンタレブー」と声をかけたら、ドヌーブが静かな声で「ボンジュール」と言い返してくれました。

 確か、ドヌーブは羽田に降り立ったとき、足をくじいて少し引き摺って歩いていたはずなんです。私は仕事柄、すぐに人様の足許に目が行くんですが、ドヌーブがあまりにもエレガントなので、顔にしか目が行きませんでしたね。

“寅さん”が「元気?」

 帝国ホテルを終の棲家にしたテノール歌手の藤原義江さん(昭和51年に死去)とも、お付き合いをさせていただきました。地下1階の床屋さんで散髪が終りますと、私が靴を磨いて、アネックス(別館)のお部屋までお送りしたのです。

 藤原さんが通る中2階のコースには、専用の椅子が置いてありました。そこで休憩するのです。これは病気の藤原さんを思いやったホテル側の配慮でした。

 ある日、藤原さんに部屋に招じ入れられ、クローゼットにかかっているネクタイから、気に入ったのを3本選べ、とおっしゃる。フランスのネクタイで、ドミニク2本とエルメス1本を頂戴いたしました。わが家の家宝です。

 家宝と言えば、作家の吉行淳之介さんから、サイン入りのルームシューズ(部屋履き)を頂戴いたしました。日本では玄関で靴を脱ぐので、部屋履きの習慣はありませんが、吉行さんにはあったのでしょうね。吉行さんもまたこよなく帝国ホテルを愛された方です。

 寅さんの渥美清さんもよくお見えになりました。お微行(しのび)で、床屋さんに散髪しにくる。野球帽を目深にかぶり、ジーパンにカジュアルジャケットというラフな格好です。スニーカーを履いていたので、靴を磨いて差し上げることはなかったのですが、私によく声をかけてくださいました。あのキーの高い声で、

「おじちゃん、元気?」

 と言って、ポケットからミカンや柿、りんごなど旬の果物を取り出し、私にくれました。

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