「テレビを見すぎると鬱になる」 精神科医・和田秀樹氏が説く「テレビの大罪」

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偏向報道と印象操作

 月刊誌やネットでテレビの「偏向報道」への批判を目にする機会が増えた。右派系とされる月刊誌では、特にその種の記事は多い。朝日新聞と並ぶ悪役になっている。

 思想的、政治的な立場の偏りもさることながら、テレビ特有の「印象操作」に対して厳しい目を向ける人は少なくない。百田尚樹氏や上念司氏らが理事をつとめる「放送法遵守を求める視聴者の会」では、頻繁にニュース番組、情報番組の印象操作を厳しく非難している。

 同じ映像であっても、BGMの付け方、ナレーションやトーンで印象はまったく変わる。そうした特性を悪用しているのではないか、というのが批判する側の意見である。

 精神科医の和田秀樹氏は、「テレビはもっとも頭(認知機能)に悪く、心にも悪いメディアだ」と著書『テレビの大罪』で述べている。その理由は「映像」と「時間的制約」なのだというのが和田氏の見解だ。

 和田氏は同書で、テレビで用いられる手法の問題点について精神医学の視点から分析を加えている。以下、同書から抜粋して引用してみよう。

 最初に指摘するのは、「感情に強く訴える」というテレビの特性の問題だ。

「人間というのは感情の状態によって思考のパターンが変わる生き物で、たとえば怒りの感情が刺激されるほど短絡的な判断をしやすくなります。誰でもかわいい盛りに飲酒運転による交通事故で命を落とした子どもたちの映像を見れば、加害者に対して怒りが噴き出すでしょう。一般論からいうと、怒りの感情に駆られたときに建設的な意見が出てくることはありません。誰でもカッとなった時は、『みんなで何とかしよう』というよりは、往々にして『あいつは許せん、やっつけろ』という話になりがちです。

 もちろんどのメディアでも受け手の感情に訴えることはできますが、文字よりも音声よりも、映像の方が強い。つまりテレビとは、もっとも見る者に短絡的な思考をさせやすいメディアなのです」

時間的制約が思考を奪う

 それでも人間には理性というものがあるのだから、落ち着いて考えればいいだけのこと、と思われるかもしれない。しかし、それを阻むのがテレビの「時間的制約」なのだ、と和田氏はいう。

「30分なり1時間という限られた放送時間にたくさんの話題を詰め込むため、また視聴者に飽きられないため、テレビのニュースやワイドショー番組というのはひとつの話題に十分な時間を割きません。
 コメンテーターは、1分も話せば『長すぎる』と注意を受けてしまいます」

 実際に、犯人の心理についてコメントを求められ、いくつかの可能性を挙げて丁寧に説明しても、放送されるのは1つの要因だけ、といったことがあるそうだ。

「目の前で長い時間、話を聞いた患者さんの心理でもそう単純に判断できないのに、診たこともない犯人を、やったことだけを見てこうと決めつけられるわけがありません」

最悪の考え方を招く

 こうして冷静な思考力を奪ったうえでテレビが示すのが「白か黒か」といった単純な物の見方だという。

「敵でなかったら味方、満点でなかったら0点、善人でなかったら悪人、薬でなかったら毒で、その中間はないという発想を『二分割思考』と言います。この世には白か黒しかなく、グレーは存在しないという伝え方はテレビの特徴的な手法です。
 2005年は郵政民営化、2009年は政権交代だけが論点であるかのように報じられました。いずれも政党といえば、あたかも自民か民主しかないようなありさまでした。
 そうした流れの主役は、やはり新聞ではなくテレビです」

 物事をスパッと明快に分けて考えるのは、一見メリットもありそうだが、和田氏はその危険性に警鐘を鳴らす。

「精神医学や認知心理学では、二分割思考というのは最悪の考え方とされ、認知療法という心の治療においても、もっとも避けるべきこととされています。
 周囲の人を敵か味方だけに分けて考える人は、自分の味方だと信用していた人がちょっと自分の批判をしただけで、『あいつは敵になった』と失望してしまいます。物事をオール・オア・ナッシングで受け止めてしまう人ほどうつになりやすく、うつになった後も悪化して、自殺してしまいやすいのです」

 こうした特徴を持つテレビが使いやすいコメンテーターは、往々にして二分割思考的なコメントをしてくれる人になる。そういう人の中には、なにがあっても「政府のせい」にする人もいる。このあたりが、「偏向報道」と非難される背景にあるのだろうか。

デイリー新潮編集部

2018年6月6日掲載

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