【特別対談:池内恵・飯山陽】世界で起きている「イスラム問題」を語りつくす(上)
※本対談は「ニコ生『国際政治ch』」にて2月23日に行われた対談をもとに再構成したものです(2018年2月23日『池内恵の中東通信』本日夜8時からニコ生「国際政治ch」で新潮新書『イスラム教の論理』の飯山陽さんと対談)。日付や事象は放送当時のものです。
『シーア派とスンニ派』(新潮選書)が発売になった。「中東ブックレット【中東大混迷を解く】」と銘打って始めたシリーズの第2弾である。フォーサイトの「中東 危機の震源を読む」「中東の部屋」「池内恵の中東通信」で日々に発信している分析を、大幅に再構成し、構造化して本の形で読者に届ける試みである。フォーサイトの読者には特にお役に立てるものと思う。ぜひ書店で手に取って見られてはいかがかと思う。
私自身が、移動の合間、出張の途中に書店を見つけては立ち寄って、新潮選書の棚を確認している。そんな時に、関連するテーマで、書店の棚でかなり良いところに置かれている本がある。それが飯山陽『イスラム教の論理』(新潮新書)である。
この本が2月に出版されてから、激しい新書の市場で勝ち抜いて、今も新書の棚で大きく扱われているのを見るのは楽しい。この本は日本のイスラーム論の定石・固定観念を打ち破る方法と内容のものである。私自身が試みてきたことにかなり重なる部分もあり、私が言おうとしてきたこと、言ってきたことを、もっとはっきり言ってくれているところもある。もちろん意見が違うところ、アプローチの仕方が違うところは多くあるが、だからこそ私にとって役に立つ。読者の皆さんにとっても役に立つと思う。『シーア派とスンニ派』と『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』と一緒にぜひ読んで欲しい1冊だ。
帯に大々的に「池内恵氏推薦」と書かれてしまっているので既にご存知の方もいらっしゃると思うが、著者の飯山さんと私は知り合いである。私が学部を卒業した学科(東大文学部イスラム学科)に、飯山さんが大学院生として入ってきたという、いわば「すれ違った先輩・後輩」関係である。私は別の専攻の大学院に進学したが、イスラム学科にはずっと出入りしていたので、飯山さんとは時々顔を合わせてよく議論した。お互いに、人文系の大学院生としては特異なタイプなようで、周囲の院生からは浮いているが社会性はある、というところが共通していたのかもしれない(あと2人とも毒舌であった。今は私の方は多少は大人になったと思うが、あちらはどうだろうか。実は大学院を出てからは直接会うことがないのでよく分からない)。
飯山さんは大学院を修了して、手堅い中世イスラーム法学の論文を学会誌に出しているのは知っていた。同時に、イラク戦争以来盛んになった日本のテレビ局の中東報道をリサーチャーとして支えていることも気づいていた。その後かなり時間がたったが、「アラブの春」で再び中東報道が活発になった頃、飯山さんが今度はカイロにおり、子育ての傍テレビ局の支局で活発にリサーチをしているらしいということも伝わってきた。
2015年1月に「イスラーム国」がシリア日本人人質殺害事件を起こして日本社会の関心を集めた時、現地の情報を緊張して集めながら、日本の新聞・テレビ局の報道も仔細にチェックしていたが、飯山さんが関与しているある民放局からは、ストレートニュースでかなり踏み込んだ内容のニュースが配信されることに気づいて、随時参考にしていた。
そんな飯山さんとは、しかし少なくとも10年以上お会いしていない。大学とメディアと、所属する業界が違うこともあるが、飯山さんが今はタイ・バンコクに住んでいるということもある。文章はよく読んでいるが直接ほとんど会わないというのは今時よくあることだが、せっかく本が出て帯にまで登場してしまったので、どこかで話をする機会がないかと思っていたのだが、ちょうど「ニコ生『国際政治ch』」に出る機会があったので、スカイプでバンコクとつないでゲスト出演してもらった。フォーサイト編集長から、ぜひこれをフォーサイトに載せたい、とたび重なる要請があったので、「ニコ生『国際政治ch』」の許可を得て、飯山さんとの対話の一部を抜粋してここに掲載する。生放送では言わずにおいたことも、少しだけ付け加えておく。それにしても、ほんの数カ月の間に、シリア情勢も 飯山さんがカイロからバンコクに移ると、ちょうどイスラーム過激派の活動も東南アジアで本格化してきているようである(2018年5月24日「インドネシアで頻発『家族テロ』の衝撃と対策」参照)。ツキのある(悪運の強い?)人はいるもので、国際情勢のトレンドを読む時に注目しておくといい人物である。しかしいつどこにいるかは定かでない人物なので、飯山さんに御用の方は「先輩」の池内に尋ねるとつないでくれるかもしれませんよ(?)。
「逃げも隠れもしない」
池内恵 飯山陽さんの新刊『イスラム教の論理』(新潮新書)が2月20日に発売されました。
この本を読むと、私が講演などでよく話していることの多くが書いてあります。
たとえば、最近はやりの「ハラール認証」について。ハラールとはイスラム法で認められる食べ物という意味なのですが、日本人の多くは、ハラール認証とはどこか法的機関でしてもらうようなものだととらえていますね。
でも本来、ハラール認証がなければいけない、というものではない、と飯山さんは論じている。これは私も同意します。私も講演などでも、こんなことをよく話しています。そもそも本当のイスラム諸国は、出てくる食事はみんなハラールなわけです。ハラールじゃないものがあったら社会的に絶対に許されません。そんなお店は叩き潰されてしまいます。だからイスラム教徒ばかりのところなら、ハラール認証など必要がないわけです。ではなぜハラール認証なるものが流行っているのか、特になぜ日本でそれがもてはやされるのか。これはイスラム世界の社会を知るためにも、また日本社会を知るためにも、面白い問題です。
飯山さんはハラールとは本来は何か、ハラールを認証するということがなぜ本当は重要ではないのか、イスラム法の原則に従って解き明かしてくれます。しかも一般の日本人にも理解できるように。ただし一般の日本人の持っている法や宗教についての固定観念に基づくのではなく、あくまでもイスラム法の観点で、かつ異教徒の立場から、解説してくれる。具体的な事例について解き明かしてもらっていくと、いつしかイスラム法はわれわれが考えるような理屈では成り立っておらず、別の理屈で成り立っているということが、飲み込めてくる。これは私もやりたかったことで、飯山さんの本には、イスラム教の論理を説明する上で説明しやすい例がいくつも出ている。
飯山陽 ありがとうございます。
池内 私が本の帯に書いた「逃げも隠れもしない」という言葉には、2つの意味を込めているつもりです。1つは、飯山さんが逃げも隠れもしていない、ということ。欧米あるいは日本で、「イスラム法はこういうものですよ」と本当のことを言ってしまうとけっこう反発があるわけです。だから様子を見ながら、本当のことを、苦い薬をちょっとずつ飲ませるように話さないといけない。それでもうまくいかない時は「逃げ隠れ」して、欧米や日本で受け入れられやすいようなことを言いがちになる。
その一番わかりやすい例が「イスラム国」です。これが登場した時、「これはイスラム的ではありません」「イスラム教は本来こういうものではありません」みたいなことを言うと、一般の人はなんとなく納得するわけですよ。
飯山 私は、池内さんとは全然違う意味で、日本の“中東研究業界”なるものからかなり距離を置いた立場にいる人間なので、何を誰に遠慮することもなく好きなことを言ってもいいのじゃないか、そういう立場の人間がイスラムについて語ってもいいのではないかと考えてきました。そして私は、長いこと中東イスラム世界に住んでいたり、いろいろな人と深くかかわった経験があるので、学生の頃、先生方に「イスラム教とはこういうものです」と教え込まれていたものについて、割と早い時期に「あ、違う」と気づいてしまったということがあるんですね。
私が専攻しているイスラム法研究は、それまで教え込まれていたイスラム教のあり方というものが、どのようになぜ違うのかということを論証する上で非常に有益でした。
実はインターネットと適合的なイスラム教
池内 学生の頃、確かモロッコに行かれていましたよね。
飯山 モロッコに留学していました。大学院博士課程の1年目です。
池内 最近で言うと、2015年1月に人質事件がありました。日本人2名がイスラム国に拘束され殺害された、シリアでの人質事件。飯山さんはあの時、ちょうどエジプトのカイロにおられましたよね。
飯山 カイロは4年いましたが、その間に人質事件が起きています。当時はある民放局のリサーチャー的な仕事もやっていました。
池内 私は当時、日本のテレビ報道をよく見ていたんですが、おそらくは飯山さんがうまく拾って来たんだろうと思われる情報や映像がいいところで流れていて、なかなか有益だなと思っていました。
2001年には9.11事件(同時多発テロ)があり、2003年にはイラク戦争が始まる。その頃は、中東メディアをウォッチしてその中から情報を取って翻訳し、テレビのニュース番組などに流さないといけないという、我々の業界にとってはかなり大きな需要があった。その時も飯山さんは、どこかの局でそういう仕事をされていましたね。確か一度、当時アジア経済研究所に勤めていた私のデスクに電話をかけてきて、アラブ世界のこれこれこういう雑誌にこういうことが書かれているらしいんだが、お前のところにその資料はないか、と聞かれましてね。いやーそんな資料、うちでは購読してないですよ、と答えたら「なんだ使えねーな(ガチャ)」という感じに電話切られましたが(笑)。ずいぶん詳細にアラビア語のウェブメディアを扱っておられることはその時にも気づいていました。それから今まで、かなり長い間、メディアを通じてイスラム世界を広く見られていますね。
飯山 もともとは、大学院生でアラビア語ができる人間がほしいと言われてのアルバイトだったのですが、やり始めたら面白い。しかも、私は前近代のイスラム法を研究していたのですが、時代がだんだん私の方に接近してきている、イスラム法が生きている世界がだんだん展開されつつある、みたいな感覚があり、自分の中ではそちらにシフトしていった感じはあります。
池内 飯山さんの学術論文を読むと、テーマはまさに中世のイスラム法。それが100%運営されていた時代のいろんな資料に残る事例から論文を書いている。近代になると、いわゆる家族法などを除いては、だいたいはフランスなど外国から法律を受け入れたので、イスラム法は近代イスラム諸国の法律の一部分になってしまった。
ところがイスラム教は、政治や社会のいろんな部分に関係していますから、近代でも潜在的に力はあった。それが今になってどんどん顕在化している。イスラム法が影響を与えるような事象が、ものすごく増えている。
飯山 まさにそれが本にも書いたことですが、インターネットの普及と非常に密接に関係しているということを体感し続けてきたのが、ここ10年間ぐらいのことだと思います。
池内 インターネットはイスラム教、特にイスラム法と適合的ですよね。
飯山 ものすごく親和性が高い。私なども何か研究する時に、以前ならハディース、つまり預言者ムハンマドがいつ何を言ったのかということを参照する際には、自分の頭の中にデーターベースがないと探してくるのは非常に難しかった。ところが今はキーワードさえ覚えていれば、それをネットに打ち込むとハディースがどど~っと出てくる。これはものすごい変化ですね。
池内 しかも研究者が楽になるだけではなく、イスラム教徒にとっても楽ですよね。
飯田 もちろんそうです。
池内 イスラム教徒が何かを知りたい時、これまではウラマーと呼ばれる宗教の専門家に聞きにいかなければならなかったわけです。するとウラマーは体制派であれば、うまく、当たり障りのないような答えを返してくれた。ところが今は、素人がたとえばジハードという言葉をグーグルで検索したら、ばーっと出てきちゃう。そうなってきたことで、一般人でもイスラム法を使ってモノを言ったり考えたり、自分で生活するという時に、すごくパワーアップしてしまった。
飯山 ですからこれまでの、いわゆる御用学者の人たちが躍起になって、「大して勉強もしてない素人が勝手にイスラム法の解釈なんかするんじゃない」とか「それはイスラムに反しているんだ」といったことを上から目線で頑張って言っているのですが、やはりインターネットを通じて広がった情報の力には勝てないですね。だから今は、個人個人が本当のイスラム教とは何だろうということを探索して、それぞれのやり方で正しいイスラム教徒になっていくという現象を目の当たりにすることが多くなった、と思います。
イスラム教徒を忖度したマレーシア
飯山 私はバンコクに住んでいるので、最近は東南アジアのニュースにどうしても目が行ってしまう。その時引っかかったのが、マレーシア政府が中国の春節(旧正月)に新聞に出した広告で、干支の戌年を祝っているのに描かれているのは前年干支・酉のニワトリだったことが波紋を呼んでいるというニュース。
犬というのは、イスラム教においては不浄のもの。マレーシアでは国民の20%以上を占める華人が春節のお祝いをするのですが、戌年だからといって犬をドンと出してしまうと、イスラム教徒は嫌な感じがするだろうな、という忖度が働いた結果、ニワトリを描いたというヘンテコなことになった。イスラム教徒の側が絶対に犬を使ってはいけないと言ったわけではなく、おそらくは忖度が働いた。マレーシア政府が、イスラム教的なものに忖度せざるを得ないような状況になってきている。その象徴的な事件の1つだと思います。
池内 ここで面白いのは、マレーシア政府の忖度の対象が、一般のイスラム教徒、イスラム教を大事にしているイスラム教徒だということ。あるいはイスラム教、イスラム法そのものを忖度していることです。
日本の場合は、役人など下の人間が首相とか大臣を忖度する。ところがマレーシアではそれが逆で、政治家や政府の人間が、イスラム教徒ならこのことについて怒るんじゃないかと思って、忖度を重ねて結果的に変なことをしてしまう。
つまりイスラム世界では、イスラム法というものが権威ですから、政治家や政府の人間はそれを信じる大多数のイスラム教徒の力が怖いわけです。
でも中東だと、「ホット・ドッグ」という名称がダメとか言わないですよね。
飯山 全然言わないですし、そんなこと何にも考えないですね。
池内 東南アジアの場合は外から、つまり中東からイスラム法を持ってきたので、本来自分たちになじみのないことをやっている。
だから最初にお話ししたハラールについても同じです。この本でも書かれていますが、ハラールについて形式的にでも、しかるべきハラールの団体から認証を得てハンコがついてないと嫌だと言うのは、やはり東南アジアの感覚、しかも最近の感覚ですよね。
中東の場合は、基本的にそこらにあるものは全部ハラールなので、大丈夫なわけです。むしろ、イスラム教徒がイスラム法的に見ると問題かもしれないようなものを売りたいという時に、「ハラールではないものを含みます」みたいなことを記載する。これが中東だと思います。
飯山 そうですね。同じイスラム教徒でも、中東のアラブ・イスラム教徒と東南アジアのイスラム教徒では感覚が違う、と感じることは非常に多くあって面白いし、勉強になります。
「組織化」を目指したフランス
池内 フランスのエマニュエル・マクロン大統領が、国内のイスラム教と国家との関係を規定しなおすと宣言して波紋が広がっています。これはまず、マクロンがフランスのイスラム教を組織化する、と言い出したのが最初です。
飯山 その2、3日後、国内のイスラム教の有力な指導者たちが集まって、「そんなことはしないでくれ」「私たちのことには口をツッコまないで」「あなたはあなたの分をわきまえて」といった発言を『ロイター通信』に対してしました。フランスでは非常に深刻な問題ですが、やはり現象としては非常に面白いと、私などは思ってしまいます。
池内 この問題は2つの方向から見ることができます。1つは、イスラム教はキリスト教と比べると聖職者、教義を専門的に解釈する人の組織化がなされていないし、そもそもできない宗教です。カソリックにおけるバチカンみたいなものを作って、ここが権威ですということを言えない仕組みで、だから誰が何を言ってもいい。
ただ、もちろん学者の方が詳しく、学者の言うことになんとなく説得力があった。また政治家をバックにした御用学者の意見は実施されることが多いだろう、と期待することもできた。
でも最初に飯山さんがおっしゃったように、インターネットの発達で、それらが自明ではなくなった。すごく勉強して丸暗記している人たちよりも、グーグルでパカパカっと調べたほうが早いという状況になっているので、より一層、偉い宗教者を組織化してその人に決めてもらいましょうということが現実にはうまくいかなくなっている。
もう1つは、フランスはフランスで、全然違う理由で宗教を政治的に統制することが難しい。なぜか。世界でも一番強烈に政教分離原則を推進してきたからです。だから政治の側から宗教に対してお金を出したり、人を雇ったりできない。その意味では、フランスは政教分離の原則に縛られている。
でもマクロンが組織化するぞと言った。今までできなかったことですから、できればすごい。でも数日で、イスラム教の側から「やめてください」と言われて、たぶんうまくいかないんだろうなというところが、このニュースのアイロニーというか、面白いところですね。
飯山 ニコラ・サルコジ大統領も同じ試みをして失敗したという経緯を、マクロンさんはもちろん踏まえているはずで、なおかつイスラム教徒側からの反発も当然予想しているはずなのに、それでも言い出すというのが面白いですね。
もしかしたらマクロンさんは、心の底で、「本当はイスラム教徒もフランスの共和国主義を受け入れたいと思っているんだ」というものすごい楽観主義を、まだ持っているのかなと思えたりもして。それも面白いと思いました。
池内 われわれの政教分離に基づく共和主義は本当に普遍的なんだという、楽観主義というか押しつけがましいまでの普遍主義を、やはりマクロンは考えているかもしれない。普遍的だから、本気でやろうとして政策を示せば、当然のようにイスラム教徒も受け入れてくれるはずだ、とまだ思っているのでしょう。
飯山 あと、フランスが組織化の結果としてどういう形を思い描いているのかが見えてきません。たとえばイスラム教のスンニ派の場合は教義上、教会組織というものを作ることができない。にもかかわらず、たとえばサウジアラビアならサウジ、エジプトならエジプトと、国家がそれぞれに宗教省というものを置いて、それが国のイスラム教指導者やモスク、モスクで話される説教の内容など全部管理している。
一方で、国家が管理しきれないあぶれたイスラム教もたくさんあり、そうしたものの1つのうねりがイスラム国みたいなものを生み出したりする。もしかしたらマクロンさんが考えているのは、中東諸国で行っているような形の管理なのかと想像はしてみましたが、わからないですね。
池内 フランスは基本的に、どの宗教に対してもそういう管理を一切しないという国ですから、イスラム教だけに対してやるとしたら、大胆な政策ですよね。(つづく)
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