「西城秀樹さん」が明かしていた家族への感謝 献身「18歳年下妻」は実姉の紹介
もう一度「ヤングマン」「傷だらけのローラ」を
秀樹が通っていたジャパンリハビリワークアウトの大明竜八(おおあけりゅうや)総院長に、最近のリハビリの様子を尋ねた。
「うちに来るようになったのは15年です。最初は車椅子で、一人では5秒も立っていられず、ひどいめまいがし、手がしびれ、麻痺している右半身が痛むという。まずは“一人で立って真っすぐ歩けること”を目標にしました」
リハビリのメニューは、歩けるようにトレーニングマシンで下半身を鍛えるのに加え、体を宙に浮かせてバランスをとる“空中トレーニング”で体を動かす練習をするというもの。
「最初の1年は週5、6日来てもらいました。“痛えなあ”“こんなの嫌だ”とか叫びながらも、5分の休憩のほかは休まないんです。でも、3時間のメニューに取り組むと、すごく疲れていましたね。2年目からは週4、5日に減らしました。奥さんや娘さんに励まされながらのときは、いつもより楽しそうで、“一番下の子が20歳になるまで元気でいなくちゃ”と、いつも言っていました」
妻の献身には感心した、と語る総院長によれば、
「奥さんは病院からの指導に沿って1週間の献立を考え、健康管理をしっかり行っていた。こうして西城さんの体調は徐々によくなり、最初は1カ月も出ていないというひどい便秘でしたが、それも治ったんです。筋肉がついて体重が3キロ増えたのも、人よりトレーニングしたからだと思います」
つらさに耐えたのも、
「もう一度『ヤングマン』や『傷だらけのローラ』を歌って踊れるようになりたい、という最終目標があったから。4月25日も14時から17時まで、いつも通りにトレーニングし、笑顔で帰っていきました」
しかし、その晩、意識を失って病院に緊急搬送され、意識が戻らないまま、5月16日に亡くなった。
「以後も毎日予約が入っていたのに来なくて。7日にマネージャーさんから、仕事が忙しくて、12日から行く、と連絡が入りましたが、来ない。14日に奥さんに電話すると、“落ち着いたら行きます”と言われました。みなさん、西城さんが意識を取り戻すと信じて、それまで隠しておこうと思ったんでしょうね」
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