日大アメフト騒動の内幕 「内田前監督」を守った常務理事会、遅すぎる対応の後手後手
宮川選手の証言
件(くだん)の関学戦は5月6日にあったが、話は3日に遡る。
〈私は、直前の2試合にスタメンで出場しました。しかし、この日の実戦形式の練習でのプレーが悪かったということで、“やる気があるのかないのかわからないので、そういう奴は試合には出さない。辞めていい”と監督から言われました〉
そして、こんな風に話を継ぐ。
〈翌日、練習前に監督から、当時、選抜されていた世界選手権の日本代表を辞退するように言われました。理由を確認することはできず、“わかりました”と答えました〉
明けて5日、コーチの1人からこんな提案を受ける。
「お前をどうしたら試合に出せるか監督に聞いてやったよ。“相手のQBを1プレー目で潰せば出してやる”ってさ。その通りの言葉をまずは監督に言いに行け!」
宮川選手本人が続ける。
〈そのコーチに、“関学との定期戦がなくなってもいいだろう。相手のQBがケガして秋の試合に出られなかったらこっちの得だろう。コレはホントにやれよ”と念を押されました。相手を潰すくらいの強い気持ちでやれという意味じゃなく、本当にやらなくてはいけないのだと、追い詰められ、悩みました〉
試合当日、スタメンに彼の名はなかった。
〈そのコーチに“今行って来い”と言われたので、監督に直接“相手のQBを潰しに行くんで使ってください”と伝えました。監督からは“やらなきゃ意味ないよ”と言われました。その後コーチからは“思い切り行ってこい”と言われ、“できませんでしたじゃ、すまされないぞ。わかってるな”と念を押されたのです〉
そして、あの問題のタックル、そのあと2度ファールを重ね、退場を宣告されたのだった。
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