「平尾脱獄囚」が逃げ出したスパルタ刑務所 元受刑者が明かす“ゴマをするのが得意な男でした”
厳しい上下関係
大井作業場は1961年に開設された。地元企業「新来島どっく」の前身会社の造船所に松山刑務所から選ばれた受刑者20名ほどが入り、敷地内にある寮で生活。日中は作業場で一般工員と共に造船作業に従事する。作業場に高い塀はなく、寮の居室には鍵もない。所謂「開放型施設」である。他の施設より開放感はあるし、面会や手紙のルールもゆるい。何より、無事務め上げれば、仮釈放が早めにもらえる。ゆえに、模範囚しか入れない。また、寮に刑務官もいるが、基本的には、寮生が“自治組織”を作り、代々受け継いできた独自のルールにしたがって動いているという。
「だからこそ、上下関係は厳しいんです」
と、先の「会長」が説明する。
「寮には、『会長』『副会長』『会長補佐』の三役を筆頭に、『新入訓練リーダー』などの『自治役』、『体育衛生委員』などの『自治員』といった役職があり、刑務官と寮生の幹部の話し合いによって選ばれる。その他はヒラの『下期生』と呼ばれます。このヒエラルキーが全てで、下が上に逆らうことは絶対に許されません。まず、新しく入る入寮生は、2人一組でバスで寮に来る。するとそこにリーダーが待ち構えていて、“おい! はよ降りて来い”と怒鳴りつけられる。そして、バスから降りると、運転手さんに挨拶をさせられるんです。少しでも2人のお辞儀のタイミングがズレたり、お礼の声が小さかったりすると、“お前ら、送ってくださった運転手さんに向かってその態度は何や! 今まで何やって来たんや!”とまた怒鳴られるのです」
これまで受刑者は、刑務官に怒鳴られることはあっても、同じ受刑者からはない。ここで大いに動揺してしまうというワケだ。
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