「平尾脱獄囚」が逃げ出したスパルタ刑務所 元受刑者が明かす“ゴマをするのが得意な男でした”
タフガイ脱獄囚が耐えられなかった「スパルタ獄窓記」(上)
「あそこにいるのに耐えられなかった……」。22日間の逃亡生活の末、ようやくお縄となった脱獄囚・平尾龍磨(たつま=27=)は、逃亡の動機をそう述べているという。サバイバル生活に耐えたタフな平尾もついに音を上げた、「スパルタ刑務所」。獄中を窓から覗いてみると……。
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「あないになるとは、夢にも思わなんだよ」
逮捕の報を受けてそう語るのは、平尾の指導係を務めた愛媛県今治市在住、古希を越えた男性である。
平尾が脱獄した、松山刑務所の大井造船作業場。ここは造船会社「新来島(くるしま)どっく」の作業場に、受刑者たちが混じって勤務する「刑場」だが、このご老人は、そこに長年勤務し、受刑者たちの指導係を務めてきた。平尾についても、もちろん手取り足取り、時にはドヤしながらも“教育”を施したと振り返る。
「アイツは、凄いマジメで大人しうて、一生懸命やるし、センスもあったよ。だから、研修の時も自分はいい点を付けたんよ。“問題を起こすなよ”“起こすくらいなら先に言え。松山(刑務所)に戻すから”と言うてあったのに……。あれだけ逃げて、最後の最後に何人の人に迷惑かけとんのよ……。何で逃げる前に言わんの。もう病気や。残念でならんわい……」
4月30日、GWの真ん中に飛び込んだ大きなニュースが、平尾の逮捕劇。約3週間の逃亡の末に、ついに囚われの身となったのだ。
社会部デスクが言う。
「平尾の供述によれば、はじめの2週間は、瀬戸内海に浮かぶ向島(むか いしま)の無人の別荘の屋根裏に潜り込んでいた、と。そこに置いてあった水や食料でしのいでいたそうです。4月24日には、雨降る夜中、下着姿で海を泳いで、対岸の本州側まで渡った。当時の水温は15度程度でしたから、プールよりもかなり低い。これも決死の水泳だったでしょう」
なるほど捕まった後、「逃げるのが辛かった」「ほっとした」と漏らしているのも当然である。
だからこそ関心を集めたのは、彼がなぜ、死ぬほどの思いをしてまで、大井作業場を脱出したかったのか、という“疑問”だ。
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